Category Archives: MBA・教育

学校でもMBAでも教えてくれなかったこと

前回の長男がチビ鉄になった記事がハフポストに転載されバズったおかげで、たくさんのおススメや励ましを頂きました。 何とおさがりのプラレールを譲ってくださる人まで現れ(!)、彼の鉄道ライフはとても充実しそうです。 ありがとうございます。

最近ブログの更新が疎かだったのは仕事に没頭しているからなのですが、つくづく「ああ、私は職人気質だったんだ」と思います。 というのも、デザインビジネスはサービス業で人件費が最大のコスト、プロジェクトのフィーが決まっている場合、当初見積もったよりも長く時間がかかれば利益に響きます(デザイン業のビジネスモデルを以前こちらに書いています)。 当然、経営判断的には見積もった時間内に納めるべきなのですが、どうしても「もう少し時間をかければ、いいデザインになる」場合、かけるべき以上の時間をかけてしまうからです。

30代後半で私がようやく気づいたことは、大事なことは「どの業界にいるか」「何をするか」では全くない。 むしろひとりでコツコツやって個人として成長し、技術を熟練させていくことに喜びを感じるのか、他人をサポートして育てていくことにやりがいを感じるのか、大勢の人に影響を与え自分の力の実感を得ることが大事なのか・・・、といったこと。
いや、それよりも好きな場所で好きな人と自由に生きていられるのであれば別に何をしていても幸せと思うタイプの人間なのか・・・(私はそういうタイプです→『「どこ」で「誰」と「どのように」生きるのか』

就職活動の時、「自己分析」ってさせられましたよね? MBAでもMyers-Briggs(MBTI)という性格テストっぽいものをさせられました。 でも小1時間程度で終わる「自己分析」や「性格テスト」で「はい、あなたは◯◯タイプです」って結果が出てすぐに腑に落ちて進路の参考になりましたか?
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これからのモノづくりに必要な思考法を学ぶ授業

なにこれ? 私がこの授業受けたい。

というのが、まず頭に浮かんできた偽らざる感想でした。
次に、浮かんできたのが、

私が授業受けられないなら、子どもに受けさせたい。

こんな授業の選択肢がある東工大の学生が羨ましかったし、こんな教育を受けた若い世代が社会に出て何をつくるのかが本当に楽しみになりました。

『エンジニアのためのデザイン思考入門』で知った東京工業大学の「エンジニアリングデザインプロジェクト(以下、EDP)」という名のプロジェクト型学習の話です(Kindle版はこちら)。 共著者の坂本啓氏(東工大准教授)は高校時代の同級生(献本御礼)。 「エンジニアのための〜」という題が付いているのでエンジニアではない私はすぐ食指が動かなかったのですが、読むのにエンジニアである必要は全くありません。 むしろ営業でも企画でも生産管理でもデザイナーでも職種を問わず「モノが売れなくなったと言われている時代のモノづくり」に少しでも思いを馳せたことがある人は楽しく読めて、仕事に使えるヒントが得られるのではないかと思います。
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MBAを出た後デザイナーになった理由

Facebookで目にしたフォーブスの記事『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか』と東洋経済の記事『世界のエリートが「美意識」を鍛える根本理由』を読んで、「ああ、私がMBAまで取ったのに、6年前クリエイティブ業界に舵を切ったのと同じだだ」と思ったので、今日はそのことを。 上記2つの記事は『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』という本の書評です。

この本は、

いわゆる伝統的なビジネススクールへの出願数が減少傾向にある一方で、アートスクールや美術系大学によるエグゼクティブトレーニングに、多くのグローバル企業が幹部を送り込み始めている実態(*1)

を捉え、

(「論理的・理性的な情報処理スキルの限界」が顕在化している世界において)質の高い意思決定を継続的にするためには、明文化されたルールや法律だけを拠り所にするのではなく、自分なりの「真・善・美」の感覚、つまり「美意識」に照らして判断する態度が必要になってくる

(『イノベーションのジレンマ』で有名なハーバード・ビジネス・スクールのクレイトン・クリステンセン教授が同校卒業生へのアドバイスとして)「人生を評価する自分なりのモノサシを持ちなさい」と述べている(*2)

今、エリートに求められるものは「真・善・美」の感覚、つまり「美意識」であり、「人生を評価する自分なりのモノサシ」だという本。
*1・・・参照 Financial Times: “The art school MBA that promotes creative innovation”, “MBA-toting evangelist for ‘art thinking’ at work”
*2・・・この授業について以前『人生をどうやって測るのか?』で書いており、私の人生の指針にもなっています。

私は2004年にフランスのINSEADというMBAを卒業しています。 INSEADは私がいた頃は世界MBAランキングの10位圏内だった記憶がありますが、2016年、2017年と連続でFTのMBAランキングでトップになったので、日本でも俄かに注目されているそうです(*3)。
*3・・・基本的に私はランキングや統計でキャリアを決めてはいけないと思っています。 判断基準は自分に合っているかどうか、あくまで軸は自分です。参照:『統計を参考に個人のキャリアを決めてはいけない』
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子供の創造性を育む仕掛け

ロンドンも格段に日が長くなり、ようやく待ちこがれた春がやってきました。
以前、『「イギリス天気が悪い」をデータで見る』で書きましたが、ロンドンにはざっくり言って「からっと気持ちよくて日が長い季節」と「暗くて雨ばかり降る季節」の2種類の天気しかありません。
「めちゃくちゃ気持ちいい、サイコー」か「めちゃくちゃ暗くて惨め」の2種類しかないので、1年の中で大幅にアクティビティーも性格も変わります。 我が家は前者の休日はひたすら外で遊び、後者の休日は博物館に行くことが多いです。
今年の博物館遊びの季節も終わりに差し掛かっているので、親として、クリエイターの端くれとして、学んだことをまとめておきます。

イギリス政府は知識経済の移行と共に90年代から創造性を高める政策を打ち出しており、クリエイティブ産業はイギリス経済を支える屋台骨に成長しています(→『クリエイティブ産業が支える英国経済』)。 一朝一夕で育まれるものではない「創造性」、幼少期に重要な学習現場となっているのが美術館・博物館を含む「体験の場」です。 美術館・博物館については以前『クリエイティブ教育のための博物館』『Tiger Mum on a Budget』というエントリーを書いたのでそちらもどうぞ。

これら子どもの体験の場で提供されるさまざまなプログラムには、以下の重要な共通点があります。

1. 直接体験、本物を使った体験であること
2. その分野の一線のプロ・専門家が行うこと
3. 無料(もしくは小額)で誰でも参加できること
4. 興味や好奇心を刺激することが目的であること

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ゆりかごからクリエイティブ

イギリスが「ゆりかごから墓場まで(cradle to grave)」行うクリエイティブ人材育成を紹介するエントリー、クリエイティビティーシリーズの続編です。
過去のエントリーはこちら。
『クリエイティブ産業が支える英国経済』
『21世紀の英国デザイン』
『クリエイティブ教育のための博物館』
『Tiger Mum on a Budget』

我が家の子どもは3人とも家の近所の民間ナーサリー(保育園)に通っています(長男の場合はもう小学生なので「通っていました」)。 「家から一番近いこと」というのが選択基準なので普通の保育園です(モンテソーリとかシュタイナーとかいろいろ早期教育メソッドがありますが、そういうのではなくロンドンではごく一般的な、という意味です)。
長男は3歳頃から長期休暇など通える時だけですが、ロンドン西部にある日本の幼稚園のホリデーコースにも行っています。 この2ヵ所から持ち帰ってくるアート・工作を見て違いが面白かったので写真を撮りました。
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クリエイティブ教育のための博物館

今日は「ゆりかごから墓場まで(cradle to grave)」クリエイティブ人材育成に力を入れるイギリスの教育のうち重要な役割を担う美術館・博物館の話。

私が初めてヨーロッパの地を踏んだのは20歳の時、40日間でキャンプ場に泊まりながら西欧8ヵ国を駆け足一周する、というものでした。 『地球の歩き方』を片手に新しい都市に行くたびに「訪れるべき」美術館・博物館の(中学の美術の教科書に載っているような)「見るべき」絵・展示物を見て、見たことに満足するスタンプラリーのような旅行。 その余りの意味のなさに、その後は美術館そのものをスキップして徐々に『住むことをシミュレーションする旅』に移行していきました。
美術館・博物館とは、
– 気軽に行くもの
– 何度も行くもの
– 子どもの頃から行くもの
であることを知ったのは、ロンドンに来てからです。
今では冬の間は月2回は子どもと行く雨の休日のアクティビティーとなっています。
実際、スクールホリデー(イギリスの学校はハーフタームといって学期の真ん中に1週間休みがある)中のNatural History Museum(自然史博物館)などはイギリス中で最も子どもの人口密度が高いのではないかと思うほど、博物館は子どもだらけです(美術館は博物館ほどではないが他国に比べると多く、また子ども向けの博物館ではなく一般の博物館の話)。
一方、日本では『育児世代の美術館・博物館の利用実態』(2006年)というレポート(首都圏在住の小・中学生の親対象)によると、「末子が未就学児」の層は約4割が美術館・博物館ともに「最近は行かなくなった」と回答しており、小さい子どもがいると足を運びにくいところのようです。
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立ち直る力 – 2

昨日の続き。
私はサラリーマンの父親、教師の母親の元で何ひとつ不自由なく育ちましたが、私の子どもたちはさらに恵まれています。 親ができることは環境を整え人生のオプション(選択肢)を増やしてあげることだという思いと、失敗や挫折に直面したときに現実にどう向き合いどう学ぶかが必要だと思いが交錯します。
まさにこのトピックが昨日のグロービス堀さんの『5男の父の告白:グローバル時代の子育て術』に取り上げられていました。
堀さんの子育て論は頷くところが多く、今までもいくつかブログに書いています(→『家族のQuantity time』『12年後の教育オプションを買う』)が、今回も少し長いけど引用。

なるほど、どこの親も口を揃えてこう言うわけである。 競争の熾烈なグローバル化した現代の世界に対応できる子どもを育てるにはどうすればいいのか、と。
5人の息子を持つ妻と僕は、当然ながらこの問題を真剣に受け止めている。
大量に資料を読み、話し合った末に、僕たちは次の結論に達した。僕たちが息子たちのためにできる最善のことは、高いレベルの生命力、つまり「バイタリティ」や「立ち直る力」を身に付けさせることである、と。
十分な生命力を身に付けさせれば、子供たちは失敗に強く、変化に柔軟に対応でき、何事にも前向きな姿勢で臨む人間に育つはずだと僕たちは考えている。
しかし、「バイタリティ」や「立ち直る力」のような抽象的なものを、どうやって身に付けさせるのか。
僕たちはそれを、次の3つの重要な要素に分解した。
1.スポーツの能力
2.囲碁の試合で勝てる能力
3.英会話力と海外経験

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10年目の同窓会

週末、夫と2人で私たちが卒業したINSEADというフランスのビジネススクールの10年目の同窓会に行ってきました、パリ郊外の街Fontainebleauまで。 ブログには5年前に『5年目の同窓会』というエントリーを書いていますが、これからさらに5年経つんですねー。

私たちは同窓会の直前に(改築し終えたはずの)家に引っ越したばかりで、前1週間ほど狂ったように忙しく「とりあえずパスポートだけ持てば何とかなるだろう」と、留守中に子どもの面倒を見てくれる夫の両親に息子たちを押し付けてユーロスターに飛び乗りました。

そして同窓会の3日間を終え、またユーロスターに飛び乗って帰ってきて、改めて思うことが2つあります。

ひとつめは人生を豊かに過ごすために、自分の友人ネットワークにInvest(投資)しようということ。 この「投資」とはお金もそうですが、時間も含みます。
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郵便番号で差別される社会

話題になっていたNHKクローズアップ現代の『”独立”する富裕層 – アメリカ 深まる社会の分断』をYouTubeで見ました(→こちら、すぐ消されると思うのでお早めに)。 アメリカで富裕層が自分たちだけの自治体作りに動き出しているというドキュメンタリー。
出版当時大きな話題となったチャールズ・マレーの『Coming Apart: The State of White America, 1960-2010』(邦訳:『階級「断絶」社会アメリカ: 新上流と新下流の出現』)をまさに地でいく内容。 この本の内容をご存知ない方は橘玲さんの『アメリカ社会は人種ではなく“知能”によって分断されている』とGen Shibayamaさんの『頭がよくないと、まともな暮らしができないのか?』をどうぞ。

自分たちのための自治体をつくるという立法・行政・司法まで踏み込んでいるのが、さすが世界でいち早く変化が起こる国アメリカだなー、と思いましたが、知能・経済力による居住地域の分断・コミュニティ化というのはすでに世界各地で起こっています。 ロンドンは独特の都市政策の結果、ストリート(通り)レベルで住民が異なり、コミュニティー化しています(→『都市内部での(自発的)コミュニティ化』『家探しでわかる都市政策』
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「欧米エリート?」を築くもの

昨晩これを書いているとTwitter上に次々と流れてくる「人生は厳しい・・・」「一発勝負の世界は厳しい・・・」という悲鳴にも似たツイートで何があったかすぐわかってしまいました。 BBC以外ほとんど見ないので昨日だったことも知らなかったのですが・・・ 同時にこれだけの人が早朝まで起きて見ている彼女の背負っているものの重さも感じました。 今日は笑顔が見られるといいですね。

さて、

欧米エリートには勝てないから○○

(○○には適当に最近の流行り言葉を入れてください)という言い回しに何とも言えない違和感を感じます。
一応、私自身「欧米エリート」の受けた高等教育を受け(東洋経済のコラムにあるくらいだから、一般的にはそういう認識なんでしょう。→『グローバルエリートは見た!』)、コラムにあるような友人が周りにたくさんいて、彼らが受けたような早期教育を息子が受けているのですが、「エリート教育」という言葉でイメージする「スイスのボーディングスクール」的な手の届かないところではなく、普通の公教育が大事にしている視点、社会が理想としている前提・土台・基礎の部分が違うんだなー、と感じ始めています。

それは、
– 自分の意見や視点を持つ
– 自信を持って人前で発表する
– 多様性を受け入れ、多様であることを良いとする
– 正解を探すのではなく、自分の答え・ストーリーを創造する
というようなことが、普通の保育園・小学校で重視されているからです。
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