Category Archives: 企業・会社員

「グローバルエリート」を下りた男たち

先日、ロンドン郊外に住むビジネススクール同級生宅で開かれたバーベキューに行ってきました。 大人20人+子供20人ほど集まった私たちはフランスのビジネススクールINSEAD 2004年卒、40代前半で子供の年齢は0歳から12歳まで。 国籍は多様性に富むINSEADらしく、イギリス人はもちろんフランス・イタリア・スペイン・オランダ・ドイツ・アメリカ・オーストラリア・ブラジル・中国・日本などなど。

20代後半だった卒業直後は戦略コンサル、投資銀行を2大就職先とし(2008年の金融危機前なので・・・)、鼻息荒くマッチョなポストMBAキャリアで文字通り世界中を飛び回っていたのですが、まず出産適齢期のタイムリミットがある女性陣が続々と下り・・・ 卒業14年目となる今年会うと男性陣もほぼ全員「グローバルエリート」路線から下りていました(*1)。 起業してエグジットした、ベンチャーキャピタルで当てた、というアーリーリタイア系はいなくて、戦略コンサルや投資銀行、PE(プライベートエクイティ)・キャピタルマネジメントなどから大企業のシニアポジションを経て独立した人が多かったです。
*1・・・「グローバルエリート」という英語はなく、当の本人たちも別に「自分はグローバルエリートだ!」と思っていないと思いますが、東洋経済の連載『グローバルエリートは見た!』で使われていた表現を便宜上使用しています。
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MBAを出た後デザイナーになった理由

Facebookで目にしたフォーブスの記事『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか』と東洋経済の記事『世界のエリートが「美意識」を鍛える根本理由』を読んで、「ああ、私がMBAまで取ったのに、6年前クリエイティブ業界に舵を切ったのと同じだだ」と思ったので、今日はそのことを。 上記2つの記事は『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』という本の書評です。

この本は、

いわゆる伝統的なビジネススクールへの出願数が減少傾向にある一方で、アートスクールや美術系大学によるエグゼクティブトレーニングに、多くのグローバル企業が幹部を送り込み始めている実態(*1)

を捉え、

(「論理的・理性的な情報処理スキルの限界」が顕在化している世界において)質の高い意思決定を継続的にするためには、明文化されたルールや法律だけを拠り所にするのではなく、自分なりの「真・善・美」の感覚、つまり「美意識」に照らして判断する態度が必要になってくる

(『イノベーションのジレンマ』で有名なハーバード・ビジネス・スクールのクレイトン・クリステンセン教授が同校卒業生へのアドバイスとして)「人生を評価する自分なりのモノサシを持ちなさい」と述べている(*2)

今、エリートに求められるものは「真・善・美」の感覚、つまり「美意識」であり、「人生を評価する自分なりのモノサシ」だという本。
*1・・・参照 Financial Times: “The art school MBA that promotes creative innovation”, “MBA-toting evangelist for ‘art thinking’ at work”
*2・・・この授業について以前『人生をどうやって測るのか?』で書いており、私の人生の指針にもなっています。

私は2004年にフランスのINSEADというMBAを卒業しています。 INSEADは私がいた頃は世界MBAランキングの10位圏内だった記憶がありますが、2016年、2017年と連続でFTのMBAランキングでトップになったので、日本でも俄かに注目されているそうです(*3)。
*3・・・基本的に私はランキングや統計でキャリアを決めてはいけないと思っています。 判断基準は自分に合っているかどうか、あくまで軸は自分です。参照:『統計を参考に個人のキャリアを決めてはいけない』
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Learning to unlearn

今年は私にとって記念すべき年です。
2008年にこのブログを始めたのは結婚してシンガポールに引っ越したのがきっかけでしたが、それ以前は新卒で某総合商社に就職したのを皮切りに日本の大企業3社で合計9年間働きました(1年間のMBA留学を挟む)。 2017年の今年は日本でフルタイム社員として働くのを辞めてからちょうど9年。 大企業でフルタイムで働いた期間と同じだけの年月を経たことになります。
その9年間の間に2度の海外引っ越し(シンガポール→ロンドン)、3度の妊娠・出産、1年間の通学でインテリアデザインのディプロマを取得、キャリアチェンジ、子育てをしながらフリーランスをした後、自分の建築インテリアデザイン事務所を立ち上げて3年目・・・とイベント盛り沢山の中、ひたすら今の自分のライフステージに合った働き方を見つけようともがいてきました。  9年経った今あらためて、社会に出て最初の9年間で染み付いた習慣・常識・思考のクセというものは、なかなか落とせないものだなー、としみじみと思います。

9年の中で、すぐ落とせた垢、なかなか落とせなかった垢をまとめてみました。
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私のいたソニー

Facebook上で元ソニーの友人たちが続々とシェアし、それぞれの回顧録を語っているので、私も書いてみようかと思います。
これのことです(↓)、日経ビジネスオンラインの特集『オレの愛したソニー』。 特に丸山さんの記事が「ぶっちゃけすぎ」と人気で面白いので貼っておきます(それにしても現存する会社に対し過去形で「愛した」ってひどくないですか? この題名・・・)。
日経ビジネスオンライン:
(上)「ソニー社長を引き受けた平井さんは軽率だな」
(中)「ソニーの使命は大賀時代で終わっていた」
(下)「ソニーの本質は高級なおもちゃ会社」

私がいたのは2001年から2003年の2年間。 丸山さん言うところの

ソニーが大企業になって名前が売れてから入ってきている優等生
会社の看板が残って、確かに会社がそのまま生き続いていくように見えているけど、同じ事業のままでいつまでもやっていけないよ。 そういうことを理解しない若いやつが多いから、新卒の時にピークを迎えている会社に入りたがるんだ。

がそのまま当たっている時代ですが、20代半ばのその頃、会社の寿命とか時代の大きなトレンドとか見えていませんでした。 ただ、このわずかの期間のソニーでの経験は次のMBAにつながっているし、MBAは今の私につながっています。
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キャリアアドバイスになってないアドバイス

ブログをやっているとよく相談メールを頂きます、特にキャリア相談。 メール自体は大歓迎なのですが、私に相談されても何も出てこないです。 だって、20代は日本企業でガンガン「輸出型キャリア」(こういうのです→『キャリアの下り方 – 1』)に邁進し、月の半分は海外出張、フランスでMBAまで取ったのに、子どもが産まれた後はさくっと建築インテリアデザイナーになるために一から学校で学び直したんですよ。 何も考えてなかったの丸出しじゃありません?(正確には、何も考えてなかったんじゃなくて、当時の私じゃ考えてもわからなかったのだが)

相談者が学生でキャリア相談を受けた場合、私はざっくりこんな風に思っています。

まず、私の就職なんて十ウン年前の話なのでそんなの聞いても意味ないです(フローレンス駒崎さんのこれすごくお勧め→『日経新聞:若者よ、君の20年後の飯の種は「今存在しない仕事だ」』。 「若者は基本的にイタい」、ってところがサイコー。 うん、私もイタかった、苦笑)。 世の中には若者つかまえて講釈垂れる暇な大人が沢山いるらしいので、精神論語る暇なオヤジも無視していいです。

私が重要だな、と思うのは、分野によりますが世界では高学歴化が進み、ある分野のトップレベルに近づこうとすると大卒では不十分、修士卒が求められるケースが多々あること(→『就活中の学生へ – 1』)。 分野によると思うので各自調べてください。
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家族は一緒がいい

4月にやったオフ会(→『11時間マラソンオフ会』)の後、密かに「遠距離婚妻の会」という分科会が立ち上がっていました。 その名の通り、ダンナさんと長い間国境を越えた遠距離婚をしていた人たちの会です。 最近そのメンバーから全員がダンナさんのいる国で合流を果たしたという報告を聞いてとても嬉しいです。

よくキャリア相談を受けるのですが、「○○とxxとどちらがいいか」と聞かれても「知らん」です。 なぜ「知らん」かは後でまとめます。 でもどちらか、または両方の転勤や留学などで別居婚が続いていることを相談されると、(お節介を承知で)一緒に住むことを勧めます。 私のMBA同級生はみんな複数国を転々とした経験があるので非常によくある悩みなのですが、遠距離婚を選ぶ人は圧倒的に日本人より少ないです。 日本人は親の単身赴任を経験しているからか、会社の転勤命令にNOと言えないからか、留学や長期出張には家族帯同不可という意味不明な社内制度のせいか、特に子どもが産まれる前は遠距離婚を選ぶ人が多いですが、欧米人では1年以上の別居はほとんど聞いたことがありません。
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イギリスで働きたい外向きの若者へ

こちらでご案内したオフ会をして以来、すっかりブログが途絶えておりすみません。
オフ会の次の週に引っ越し、その直後に次男がナーサリーから変な菌をもらってきて私にうつしてくれたため、私もふらふらになっていました(言い訳)。 まだ咳は残ってますがようやく回復し、家の中も片付いてきました。

さて、20数名が集まったオフ会、今回も素敵なメンツが集まりました。
社会人67%、学生33%。 社会人は日系企業と現地採用がおそらく半々くらい。 学生はMBAなど修士が多いけど、学部レベルやそれ以前から留学していた人も若干名。 ロンドンの前はシンガポール・タイ・北京・ニューヨーク・ノルウェー・ドイツetc. 複数の国の居住経験がある人が多い。 小さい子どもがいる女性は全員がワーキングマザーでした(家族の時間が限られる中での参加、ありがとうございます)。

数年前から「日本の若者内向き論」がメディアで盛んに取り上げられていますが、マジョリティー(=おじさん)によるマイノリティー(=若者)のバッシングに思えてなりません。
とはいえ、海外にいる私が「私も周りはみんな外向き」と言っても、女子会ばかりしながら「周りにいい男がいない」とボヤくのと大して変わらない気がするのでマクロの話は止めてミクロの話を。
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一家の大黒柱が無職になった – 3

今日が最終回。

こうして2011年夏に夫婦ともども無職になった私たち、生活は特に変えませんでした。 私が秋から通う予定だった『The Interior Design School』の学費をまだ払っていなかったので「入学を1年延ばそうか?」と夫に聞いてみたのですが、私のキャリアチェンジを心から応援してくれているので1年先にすることは大反対。 「夫婦で無職、子ども1人」から「無職+学生、子ども1人」になりました。

夏休みに予約していたクロアチア旅行もすでにフライト代と宿のデポジットを払い込み済みだから既にサンクコスト(→『サンクコスト』)。 「無職でロンドン」と「無職でクロアチア」だと出て行くお金は変わらなそうだし、後者の方が「明るい無職」って感じなので予定通りに旅行へ(→『アドリア海の休日』)。

夫は息子と過ごす時間が一気に増え、ママっ子だった息子がパパ大好きに戻りました。
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一家の大黒柱が無職になった – 2

昨日の続き。

「こんな体調で出張に行ったら本当に体を壊すから行かないで」と朝3時に過労なのに海外出張に行こうとする夫を止めようとした私。

1. 大事なのは一に自分の健康、二に家族の健康。 仕事は三の次、四の次、五の次である。
あなたが家族のために一生懸命働いているのは知っている。 それならなおさら一家の大黒柱は自分の健康が一番大事。 機内アナウンスで「自分の救命具をつけてから周囲の人が着用するのを手伝ってください」とあるのと一緒。 次に家族の健康が大事。 それ以外のことは何とでもなる。 仕事は辞めたらまた見つければいい、家も今買わずにまた後で買えばいい。

2. 精神の病は、身体の病より、かかっていることに気がつきにくく、回復に時間がかかる。
精神的に参っているなら、休息を取らなくてはいけない。 申し入れても休息を取らせてもらえないなら逃げればいい。 あなたがこの出張に行かなくても、おそらく会社はつぶれない。 でもあなたがつぶれたら回復にはずっとずっと時間がかかる。

3. もし今、この会社から職をオファーされたら受けるか? 答えがNOなら時間と健康を無駄にせず、辞めるべき。
すでに転職が間違った決断だと気づいているなら、この会社に少しでも長くいることで、その決断が正しい決断に変わる可能性はない。 間違った決断をすることは時にはある。 重要なのは、今後同じような間違いを起こさないことであり、行動した自分を責めることではない。
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一家の大黒柱が無職になった – 1

・・・というタイトルをつけたけど、私の夫の話です。

2年前のこの時期、夫は転職しました。 同じ業界内ですが(夫の職業は戦略コンサル)、夫の上にはパートナー(ファームの共同経営者)2人だけという小さいファームにシニアなポジションで入社。 新しく入ったこの会社が、、、ブラック企業でした。

期間の短いプロジェクトを次々こなすため、常に締め切り前で帰宅は私と息子が寝た後、終電やタクシー帰りが多くなりました。 ただ長時間勤務なだけであれば、この業界はよくあることなのですが、パートナーである上司が、、、ブラック上司でした。 マイクロ・マネジメントの典型で部下の行動を監督し、侮辱的な言葉で部下を威嚇し長時間労働を強要、週末も電話やメールでの指示が止みませんでした。 夫はこの上司の右腕として同じように部下をマイクロ・マネジメントするように言われることが本当に心理的に苦痛のようでした。 スケジュールはすべてこの上司が決めアシスタントがアレンジするため、夫にはスケジュールのコントロールの自由がありませんでした。

転職当初は「2年がんばる」と言っていたのが、「1年半は」になり、「1年もつかなー?」になりました。 私が「この会社にいるのはもう長くないな」と思ったのは、夫が珍しく会社を早く出ることができ「今日こそベッドに入る前に息子の顔が見れる!」と喜び勇んで帰ってきた晩のこと。 1歳になるかならないかの息子はパパの帰りを待つことができず、夫の帰宅5分前に寝入ってしまいました。 走って帰ってきてベッドタイムに間に合わなかったと知ったとき、夫はあまりの悔しさに涙を流してしまいました。 
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