だいぶ日が経ってしまいましたが、クリスマス直後に2泊3日でマラッカに行ってきました。
シンガポールからマレー半島をバスで北上すること5時間(そのうち1時間は出入国手続き)、マレーシア最古の街であり、マラッカ海峡の交易で栄え、ポルトガル・オランダが支配したこともある多文化な港町。
2008年7月には世界遺産にも登録されたのですが、あんまりそのアピールは感じられませんでした。
夫の思いつきで旅行3日前に行くことを決めたので予習が足らなかったのですが、「ここ、シンガポールよりマルチカルチュアルかも」というのが第一印象でした。
シンガポールの人口構成は
中国系 75%、マレー系 14%、インド系 9%、その他 3%
なので、多文化といえどもやはり華僑の国だと日々感じています。
ところが、マレー半島を北上するとマレー系の人口がどんどん多くなっていきます(正確には中国系がマレー半島を南下してきたのだが)。
マレー半島先端にあるジョホール・バルはシンガポールと同じく中国系がマジョリティー。 経済的にもシンガポールに組み込まれており、越境通学・通勤する人も多いです。
それがマラッカまで来ると、
マレー系 60%、中国系 30%、その他=ポルトガル系の子孫、インド系など
と、かなり民族バランスが拮抗しているのです。
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多文化の街 マラッカ
観光と住みやすさの両立
ちょっと古いThe Economistに微笑ましい記事が載っていました。
The Economist : Joy of the outback
オーストラリア観光局が最近伸び悩む外国人観光客数を増やす起死回生策として、オーストラリア映画史上最高の総製作費1億3000万豪ドル(約126億円)をかけた、その名も『オーストラリア』という映画に望みをかけている、というお話。 主役はオーストラリアが誇る美女・美男俳優のニコール・キッドマンとヒュー・ジャックマン。
オーストラリアは1980年代に『クロコダイル・ダンディー』が大ヒットし、何百万人ものツーリストに結びついたため、あの成功をもう一度、というわけです。
Facebook時代の'keep in touch'
昔は一人旅専門だったのですが(→『バックパッカー時代も悪くない』)、今回の中国は実に久しぶりの一人旅でした。 何年ぶりかも覚えてないや・・・
そんな久しぶりの一人旅。 10年前との時代の違いを一番感じたのは、旅先での出会いがもはや一期一会ではなくなったということでしょうか?
昔は旅先で出会った人と一緒に写真を撮ると(←まだフィルムカメラの時代)、住所を聞いて焼き増しした写真を送ったものです。 クリスマス前には郵送でクリスマスカードが届き、でも1年経ち、2年経つと遠い異国に住む友人とは縁が途絶えていきました。
5年くらい前はこれがメールアドレスの交換になり、デジカメで送った写真を送ったりしていました。 でも相手がブロードバンド環境かもわからないので、送っても1通のメールに3枚添付くらい。 何枚も送りたい場合はメールを何通にも分けて送っていました。
そして現在。
「写真見せてよ」
「Facebook(もしくはFlickr)にアップしておくよ。 Facebookで名前何?」(とiPhoneを取り出しそのまま目の前でfriend requestを送る)
あっという間に写真の交換どころかFacebook上でつながったため、今後もお互いに近況がわかることになりました(日本人の場合、mixi)。
北京冬景
北京は冬晴れが続いています。
上海と人口も物価も変わらないのに、言葉の分からない私に明らかに違いがわかるほど、人はのーんびりしています。
何度も「ここは京都?」と思わせる街並みに、焼きいもや甘栗、茹でとうもろこし、といった郷愁を誘う屋台。
友達に借りた自転車で街を走り回ってみました(かなり巨大なので走り回れるサイズではないのですが・・・)。
天安門広場に着くと最初にお出迎えするのは、もちろん故・毛沢東主席。 夏は観光客で溢れかえるのであろう故宮もこの季節は静か。


上海雑感
昨日、上海から北京に移動したので上海雑感。
上海で最も印象に残ったのが、新と旧、富と貧、西洋と中国のコントラスト。
10年前には農村地帯だった浦東(Pudong)地区。 現在は金融センターとして続々と高層ビルやホテルが建設中。 一番右のビルが世界2位の高さを誇るShanghai World Financial Center。

黄浦江を挟んだ対岸が、外灘(the Bund)地区。 昼間は建設現場の砂埃がすさまじかったのですが、夜は一転して欧米人やリッチな中国人が最新レストランやバーに夜な夜な集まります。

華僑の移住モデル
先週の予告通り、一昨日から上海にいます。
全体的な感想は旅が終わってからにするとして、今回の旅で再会した友人たちの話を。
私は上海・北京に多くの友人(ほぼ全員INSEAD同級生)がいますが、大きく2つのグループに分かれます。
- 中国にチャンスを見出して移住し、自分でビジネスをしている欧米人(→『果たしてヤジ馬なのか歴史の証人なのか』で書いたような人たち)
- 幼少期に香港・台湾から家族ともども北米・オーストラリアに移住し、欧米で教育・キャリアを積んだ後、過去5年以内に上海・北京に移ってきた(香港・台湾出身)中国人
上記2.に属する友人の家族の歴史は華僑の移住の歴史。
祖父母世代、親世代、本人世代、それぞれ時代によって理由は異なりますが、移住を繰り返しています。 迫害を逃れるためなど必要に迫られたものだったり、子供のより良い教育機会を求めるためなどopportunistic(機に乗じた)だったり、その時々でのベストな判断だったのでしょうが、とにかくそのたくましさと軽やかさは何度聞いても感動を覚えます。
中国を見ずにアジアを語るな
・・・という内なる声が日に日に大きくなってきたので、来週から上海と北京に行ってきます、プライベートで1週間、ひとり旅。
別に誰に言われた訳でもないし、アジアを語っているつもりもありませんが、華僑の国に住み、周りに中国に行ったことがない人を思いつかないという現在の環境下、「中国本土に行ったことがない」とはなかなか言いにくいものがありました。
もうひとつの理由は、いろいろな旅スタイルを経て、「急激に変わりゆく世界を、しかとこの目で見たい」という「オトナの修学旅行」を求める思いに変わったことでしょうか。
学生バックパッカー時代を経て(→『バックパッカー時代も悪くない』)、社会人になってからは地中海とアジアン・リゾートに現実逃避していた時期もあったのですが、「オトナの修学旅行」に開眼したのが(それまでちっとも興味がなかった)ロシア・モスクワに長期出張していた2004-2005年。
石油バブルで高級車が走り回り、美女しか顔パスできないクラブ(踊る方です、私はコネ入場)では知らない成金オヤジが次々にシャンペンを開ける一方で、(給料の少ない)警察が旅行者を捕まえカツアゲするという(私もカツアゲされた)、貧富の差が急拡大していたモスクワは、経済が急成長する最中に生きる人々の生活やその歪みを間近に見ることができた「あの時代だけのモスクワ」でした。
住みたい街ではないけれど、あの時代にしか見ることができないモスクワを見られたのはラッキーだったと思います。
円高ではない、これが常態
円高で日本の訪日観光客数が減っているそうで。
グラフは前年比訪日外国人数(wbsより)。 今年8月から減少に転じています。
こちらやこちらにも以前書きましたが、私の周りでも日本に旅行に行き、気に入ってリピーターになる人が増えており、その結果、日本への理解が進んでいる傾向を喜んでいたのですが、残念・・・
ところで、ニュースでは「円高で輸出産業に打撃」や「カルティエが円高差益還元」など「円高」と表現されていますが、理論上は以前から「円が安すぎる」と言われていました(→『Big Mac指数とミセス・ワタナベ』)。
池田信夫さんのブログで紹介されていた論文でも為替レートの均衡値は以下の通り。
1ドル = 90円
1ユーロ = 132円
1カナダドル = 88円
ということは、つい数ヶ月前まで円安の異常事態が何年も続いていただけで、今は常態に戻ったということです。
バックパッカー時代も悪くない
若者の海外旅行離れらしいですが、たしかに日本人の若いバックパッカーってあまり見なくなりましたね。 カンボジアでも身なりの小綺麗な日本人学生グループはわりといたけど、汚い格好した1人旅のバックパッカーはほとんど見なかったなー(欧米人はたくさんいたんですが)。
私の学生時代は今までの人生で一番暗かった時期で、大学がつまらなかったので(休講多いし、誰も授業出ないし、教授もやる気ないし)、大学外の通訳者養成校に通い英語を勉強しながら(→詳細コチラ)、効率のいいバイト(家庭教師や塾の試験監督)で旅行費用を貯め、夏休みと春休みに1-2ヵ月ずつ(年間計3-4ヵ月)海外に飛び出す、という生活を4年間続けていました。
「とにかく外に出なきゃ!」と熱にうかされたように飛び出し海外を彷徨っていたあの頃の私や同じような人種(があの頃はたくさんいた)と今の学生を比べると、10年一昔といえど、やはり隔世の感があります。
バックパッカー全員が読んだであろう小林紀晴さんの『ASIAN JAPANESE』や沢木耕太郎さんの『深夜特急』
は今の学生にはもう響かないのかな?
私の場合バックパッカーといえど、女1人旅だし親も心配するので、事前にルートを決めていくことも多かったし、辺境の地を旅したり広い世界を見て回ることが目的ではなく、孤独と旅先の交流を繰り返しながら内なる自分と向き合う、それはそれは暗い、内省的な旅でした。
自分に貼られた「京大生女子」というラベルが嫌いだったので(『differentとwrong』というエントリーで書いたように世の中はマイノリティーには冷たかった。 東京だともう少し開放感があって違ったのかもしれない)、そんなラベルが全く意味をなさない海の外で自分を試す、わざわざ自ら好んで痛い思いをしにいく、そんな旅でした。
また来たくなる、日本
タイ大使館の前を通ったとき、思わずコケそうになってしまいました。
amazing thailand… タイ政府観光庁の観光キャンペーンの標語です。 この標語考えた人、ちゃんと5分以上考えたのかな・・・?
たしかに、タイは美しくamazingな国ですよ。 でも、amazingって、
Amazing Vietnam
Amazing Cambodia
Amazing Sri Lanka
どこでもよくないですか???
どうせならベタだけど、「微笑みの国 タイ」とかにすればいいのに(ベタすぎ?)
シンガポールでよく目にするキャッチフレーズは“Uniquely Singapore”(シンガポール)と“Incredible India”(インド)。
“uniquely singapore”は私は見るたびに「どのへんがユニークなんだ?」と突っ込んでしまう。 たしかに独立してわずか40年の間に国民が一致団結してアジア随一の経済国家に成長したそのプロセスはユニークで拍手喝采ものなのですが、観光的にユニークなところはない。 中国とインドとマレー文化のちゃんぽんとピカピカの新しいモールにテーマパークではないか・・・
それに比して、”incredible india”は「まあ、インドに行ったらそう叫びたくなることばかりだろう」という感じで納得。 どうせなら、もう少しシャレっ気を出して”unbelievable india”とか”shinjirarenaai india”とかならなお一層面白いんだけど。