キャリアの下り方 – 1

屈指の『未来に備える本』と言える『ワーク・シフト – 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉』から気になった箇所をいくつか。
イケダハヤトさん(@IHayato)のブログ『「死ぬまで働く」時代の「カリヨン・ツリー型」キャリアについて』でも引用されている「カリヨン・ツリー型」キャリアが私にも響きました。

今後主流になるのは、いくつもの小さな釣鐘が連なって職業人生を形づくる「カリヨン・ツリー型」のキャリア。 精力的に仕事に打ち込む期間と、長期休業して学業やボランティア活動に専念したり、仕事のペースを落として私生活を優先させたりする期間を交互に経験し、ジグザグ模様を描きながら仕事のエネルギーや技能を高めていくのである。

これからは富士山型ではなく「八ヶ岳連峰型の人生観じゃないと、人生後半がさみしくなりますよ」とある日経ビジネスオンラインのこの対談も趣旨が似ています。

40代や50代で死ぬ時代には一山主義でいいんだけど、人生80年なら、あと40年残っている可能性が高い。
そうするとこの山にもっと山脈を連ねないといけない。僕は「八ヶ岳連峰型」の人生観じゃないと、人生後半がさみしくなると考えています。
その時、一番目の峰と同じ峰をまた登るということはできない。峰を重ねようと思ったら、主峰の横に30代や40代から次の峰の裾野を作っておかなきゃならないわけです。

この「カリオン・ツリー型」や「八ヶ岳連邦型」キャリアには共感するし、まさに私は第一の山を下りたところなのですが、問題はイケダハヤトさんも書いているように「山から下りるのは経済的にも心理的にも結構辛い」、「山から下りて再び登れなかったらどうすんの?」ということ。

結婚を機にシンガポールに2008年に移るまでの私はメーカー・商社でいわゆる「輸出型キャリア」を築いていました。 日本の(後にガラパゴスと揶揄されることになった)「進んだ」技術を海外に輸出し立ち上げるのがお仕事(そのうち2例→『FeliCaがガラパゴス化した3つの理由 – 1』『- 2』『i-modeはなぜ海外展開に失敗したのか』)。 商社ではさらにIT分野の海外事業投資も行いましたが、日本企業の本社から日本人が出て行くという意味で必要な資質は輸出型キャリアと同じです(→『言語・文化アービトラージャー』、Chikirinの日記:『グローバリゼーションの意味』)。

30歳になる前に年収は大台に乗り、毎月海外出張して泊まるのは5つ星ホテル、出張先の移動はタクシー、食事はレストラン。 お給料が増えても出張中はほとんど経費が出るので使う暇がなく、出ていくのはほとんどいない東京のアパートの家賃くらい。 空港とホテルと客先のトライアングル移動する生活を複数都市で続けると時差ボケと運動不足でいつも疲れているので、移動中のタクシーの中から行きつけのマッサージの予約ばかりしていた気がします。 ちょっと時間ができてもホテルのラウンジでメールチェック。

この第一の山を下りることを決意したのは「輸出型キャリア」では「本社にいる日本人」が絶対権限を握る日本企業にしか勤められないから。 今後住む場所が日本ではない、どこに住むか決めてない私たちには合わないので早めに次の山を築いた方がいいと思ったから、です。

決めると行動に移すのは速いのでそこまでは簡単でしたが、以前のように自分が稼いでいない状況に慣れるのには時間がかかりました。
シンガポール内の移動はタクシーから地下鉄・バスに変更、初めは慣れてないので遅刻ばかり(←当たり前じゃ、ってか近くなら歩け)。
コーヒー飲むのはホテルのラウンジからスタバに(←同じく当たり前)。
食事は外食から自炊に(←健康にもよい)。
週1回通ってたマッサージは月1に(←ストレス溜まらなくなったんだからいらないし)。
無駄に買ってた洋服・靴などショッピングも激減(←1年中常夏だから服いらないし)。

収入の増加と共に勝手に膨らんでいた浪費行動を抑えるのに、初めの頃は心の中で「あー、稼いでた頃の私だったら・・・」とつぶやいていましたが、しょせん自分の心を本当に満たす要素ではなかったのでしょう。 時が経つと共に「稼いでいた頃の私症候群」は自然に治まりました。
シンガポールより物価も税金も高く、金喰い虫が2人増えて、嗜好品・贅沢品の可処分所得がほぼゼロになった今はさらに質素に暮らしています(笑)。

長くなったので次回に続く。


One response to “キャリアの下り方 – 1

Leave a comment