1月、チュニジアで一青年の焼身自殺をきっかけとした政府への抗議デモが次々とアラブ諸国へ飛び火し、エジプトではムバラク政権が、リビアではカダフィ政権(いずれも長期独裁)が崩壊した。
ギリシャでは幾度も財政危機が再燃し、アテネでは政府の緊縮案に怒る公務員を中心とした市民が何度もストライキやデモを繰り返した。
8月、イギリスでは各都市で不満を抱える若者たちが商店街を荒らし火をつけた。
9月、アメリカではNYウォール街で「ウォール街を占拠せよ」というスローガンを掲げ、今も収束しておらず、他の国にも飛び火している。
年末まで1ヵ月半残っているけど、本当に市民が街頭に繰り出した年でした。
いや、むしろ「よく民衆デモが起こった年」として記憶されるのか、「民衆デモが盛んになり始めた年」として歴史に残るのか・・・ 私には何となく後者の気がします。
デモ自体は悪いものではありません、むしろ自由な意見をグループとして行動で示し、その結果、平和裏に政治家・世間一般の関心をひくのであれば民主主義が健全に機能していることの現れでもあります(弾圧で終わるのは民主主義でないことの証明)。
そして上記それぞれの国が抱える問題点・空気を反映しています(イギリスだけがデモっていうより若者が暴れただけだったのが情けない感じですが→『ロンドン暴動に際して』)。
でもちょっと前ならデモといえば環境保護団体・労働組合・学生など既存の実体を持った団体が中心となって組織していたものが、ここ最近起こった急激な変化の特徴として個人・個人が持つ不満(小さな泡)が急速に集まってすぐに沸点に達しやすくなっています。
このように頻繁に起こるようになった現象をナシーム・タレブはブラック・スワンと表現していましたが(→『世界はブラック・スワン』)、これは一過性ではなく不可逆なんだろうな、と思います。
ブラック・スワン化を容易くしているのがパーソナル・テクノロジー。
個人が今どこにいるのか(GPS機能のついたモバイル)、何をしているのか・今関心があることは何か(FacebookやTwitter)をリアルタイムでシェアすることがこの上なく簡単になり、わざわざオフラインで団体を組織しなくても、友人が現在参加しているデモにすぐ駆け付けられるようになりました。
こういう「何がきっかけとなるのか、どこからかはわからないけど、どこからか突然小さな泡が集まって巨大な力を持って沸騰する」という不安定な状況は続くんだろうな。
先週のThe Economistはパーソナル・テクノロジーを特集しており(スティーブ・ジョブスが亡くなる前の記事だけど絶妙のタイミング)、モバイルだけではなく車(車社会ではとてもパーソナルな空間)や洋服までパーソナル・テクノロジー化する傾向まで示した力作。
The Economist : Beyond the PC
こういう先が不透明な時期を生きる子どもを持つ親はどういう環境を与えればいいのか悩みます。 我が家の1歳半はスプーンも満足につかえないのに(*1)iPhoneは使えるんですよ。 テクノロジーが体の一部に近づいてるのを、見てると感じます。 SFの世界ってこういう形でやってくるんだろうなー、って。
*1・・・上げたり下げたり口に運んだりはできるけど、微妙な角度で食べ物をすくい角度を変えて落ちないように水平に運ぶことができないので、UFOキャッチャー状態。
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