私たちが「ウェブ前」「ウェブ後」の大変革を人生ど真ん中で生きる「一身にして二生を経る」世代らしい、ということは『「一身にして二生を経る」時代に生まれて』に書いたけど、私の息子の世代ともなると完全に「ウェブ後」、まさにデジタル・ネイティブです。
・・・というのも、生後11ヵ月の息子、液晶ディスプレイらしきものを見ると横に指をスライドさせるのです。 ディスプレイ画面は文字通り「映すだけ」、入力はキーボードが普通だった私から見れば(その前に紙と鉛筆だが)、自然とフリックしている姿に驚愕。
1. メディアをzapping
Generation Yとして知られる若者(諸説あるが、今の28歳以下くらい)は、テレビをつけながらネットでFacebookに書き込みつつ、友だちにSMSを送る、程度のマルチタスキングは常識。 テレビのチャンネルをリモコンで次々替えることを”zapping”と言いますが、異なるメディア間をザッピング。 次々と新たな誘惑に気が移るため、集中力が子ども並みに短く続かないのが特徴。
2. 人間関係もzapping
“The World in 2011″というThe Economistの年始特集号によると、ひと昔前は人間ひとりあたり”social connection”(学校・職場・クラブなど社会的つながりがある人の数)の平均が130人ほどだったが、10年もすると平均500人ほどになると予測されているそうです。
たしかに私もFacebookとmixi、LinkedInで(重複している人を除いても)500人くらいになる。 一度会っただけでFacebookのfriend requestがくるし、「friend(友達)」の定義すら変わりつつあるのかもしれません(Facebook以来、”friend”, “unfriend”と言うように”friend”という単語が動詞として使われるようになったし)。
システマチックに「◯◯は学生時代からの飲み友達」、「△△さんは緩い仕事関係のつながりで数ヶ月に1回関係メンテが必要」、「□□さんは同じ保育園に通う子どもを持つママ友」・・・と目的に応じて人間関係を使い分けている人も多いことでしょう。
3. 何でもかんでもzapping
新しいパソコンは価格.comで一番安いところから買えばいいし、服はギルト・グループで目当てのものをゲット。 ファッションもフードも音楽も自分にパーフェクトなものを選ぶか、なければ自分流にカスタマイズ(→『星の数ほどの中から選べる幸せ?』、右の写真は”The Economist : The tyranny of choice – You choose“より)
モノも情報も無限と言えるほどに溢れる時代を生きる子どもたちに必要なものは情報収集力や分析力ではなく、一点突破力や「石の上にも3年」的な力のような気がします。
人間関係においては、クリステンセン教授の次の言葉、
“It’s not the dollars but the individual people whose lives I’ve touched.”(→『人生をどうやって測るのか?』)
に”and how deeply I’ve touched”を付け加える必要があるのだと思います。
今年の目標、『Disconnect to Connect』もしかり、子どもが産まれたときに、母が「育児は育自」と言っていたけど、本当にそうだなー
February 18th, 2011 at 3:17 am
>”and how deeply I’ve touched”を付け加える必要がある
ほんとほんと。「広く浅く」の典型な私は、「狭くても深い」人にとても憧れます。
前からよく「知人」「友人」「親しい友人」「親友」の違いについて色々と考えるんだけれど…確かに“Friend”の定義は変わってきてるんだろうねー。(まだまだ違和感ありまくりだけど…)
しかしAくん、液晶モニターをスライドさせるなんてすごいね~♪うちの子、バチバチ叩きまくっては床に落として喜んでます。違う、違うんだよ…T-T
February 18th, 2011 at 2:23 pm
>junko
>「広く浅く」の典型な私は、「狭くても深い」人にとても憧れます。
ぜんっぜんそんな風に見えないよ。 でも「広く深く」は物理的に無理なので、少数の「狭く深い」付き合いの人と「広く浅い」人の組み合わせでいいのでは?
>Aくん、液晶モニターをスライドさせるなんてすごいね~♪うちの子、バチバチ叩きまくっては床に落として喜んでます。違う、違うんだよ…T-T
Aも初めはそうだったよ、素手で叩くのはまあいいとして、iPhoneを持って机に叩き付けるのはやめてほしいけど。
今は本人がスライドさせようと思ってしているのか、結果としてスライドされてるのかは不明。