「内」と「外」

池田信夫 blog でFacebook上の欧米人と日本人のコミュニケーションの違いを評して、こうありました。

プロフィールをみると、欧米人は100人とか200人とか友人がいるのに対して、日本人は10~20人。 これはもちろんFacebookが英語ベースだという理由があるだろうが、「友人」の概念に違いがあると思う。 欧米で飛行機や長距離列車などに乗り合わせると、よく隣の人が「日本から来たの?」などと話しかけてくる。 未知の人とのコミュニケーションの敷居が低いのだ。 これに対して、日本では「赤の他人」に話しかける習慣はない。(『安心ネットワークと信頼ネットワーク』より)

Facebook friendsの数の違いは単に代替サービスの有無(日本人にはmixiがある)が大きいと思いますが、一般的に日本人は初対面の人に対する心の垣根が高い、とは本当に感じます。
特に、日常生活で欧米人とのコミュニケーションに慣れてしまって全く同じノリで日本人に接すると、心のシャッターをガッシャーン!と下ろされてしまい、驚くことがよくあります。
なでられると思って見知らぬ他人にキャンキャンと尻尾を振って寄っていったら「あっち行け」と蹴られてしまい、キャンキャンと尻尾を巻いて帰ってくる犬のような心境か・・・
一番それを感じたのが、留学中の就職活動時。
一般に求人情報として出ている案件は企業の人材需要のうちのごく一部、多くの企業では個々のマネージャーに「こういう人が欲しいなあ」という漠然とした需要があり、それを掘り当てるためや、企業の社風について実際働いている人の生の声を聞くために、”Informational interview”と呼ばれる方法が推奨されていました。 それは卒業生ネットワークや個人のネットワークを使って、オフィシャルな面接ではないが社員に電話や直接会うアプローチして話を聞く方法(→『人は意外と会ってくれる』)。
知っている人の紹介であれば、ヨーロッパ人は結構気軽に、どんな仕事をしているか、どうやって仕事を見つけたか、社風はどうか、etc.電話で話してくれたので、そのノリで、日本にある外資系スポーツブランド(面接が決まっていた)で働いている人に知人を通じて電話のアポを取りました。


その結果は・・・
全く心のドアは開いてくれませんでした。 何を聞いたのか覚えてないけど、ほとんど意味のあることを聞けないで終わったような。
一応、知人の紹介だったんだけどなー・・・ 競合他社の覆面調査とか思われたのかなー?(社外秘のプロジェクトを話してほしいわけではないのに) それとも社風について他人に話すって社外秘???
全く同じ方法で、私の友人(カナダ人)はLinkedInで見つけた人に依頼して紹介に次ぐ紹介で、7回の電話インタビューだけで(1度も対面面談をしないまま)Intel Chinaに就職したのを見たとき、その違いを痛切に感じました。 7人も電話で話を聞いていたから、彼も職場がどんなところか想像できて、1回も中国に行かないまま仕事を決めていたし。
日本には「内」と「外」の概念があって、その間に高い高~い壁が存在してるんですね。
「社外」の人に対して異常なまでの(に思えた)警戒心を抱くのも、名もなきベンチャーが大企業と取引するのが難しいのも、「外」から「内」に入ることの難しさを示してるのではないでしょうか?(そう考えると『オープン・イノベーション時代の企業のあり方』のような形態はメンタリティーに合っていないのかもしれない)
池田信夫さんはこう説明しています。

日本のような安心社会では「一見さん」を仲間に入れないことが長期的関係のレントを維持する上で重要なのだ。 しかしこれはネットワークを広げる上では不便なので、まず相手を信頼して取引し、裏切り者は法的に処罰するのが欧米型の信頼社会である。

なお、欧米では、どのくらい「いきなり」信頼されるかというと、こんな例が。
去年の12月、上海と北京に行きました(→きっかけ)。 上海には親しい友人がいたので泊まるところがあったのですが、北京にはいなかったのでどうしようっかなー?と思っていたら、あっという間に3人の人が宿の提供を申し出てくれました。
1. 上海在住の友人(アメリカ人)のガールフレンド(香港系カナダ人)。 私たちの結婚式に来てくれたので1回会ったことあり。
2. INSEAD卒業生(ギリシャ人、男)。 去年、情報交換のためにシンガポールで1回お茶したことあり。
3. 上記、上海在住の友人の友人(アメリカ人とイギリス人のカップル)。 メールで「北京在住の友達がシンガポールに遊びに行くから、シンガポールのこといろいろ教えてあげて」と言われ、1回お茶をしたことあり。
全員、1回会っただけ(会った時間1-2時間)なのに、こちらから頼んでないのに「北京に来るときは、ぜひ泊まって」と言われました(社交辞令ではないです、めちゃ本気)。
「私だったら1回会っただけの人泊めるかなー?」と驚きつつ、3人の中でもかろうじて一番濃いつながりと思われた1. 友達のガールフレンド、にありがたく泊めてもらいました。
でも、日本人でもこの「内」と「外」の概念に囚われずに、軽々としなやかに越える人たちがいます。 それが、今の20代(のたぶん一部)。
私は前の職でも前の前の職でも職場に後輩ってほとんどいなかったので(就職氷河期で、全然後輩が入ってこなかった)、今の20代にこんなに出会ったのは、このブログを始めてからなのですが「内」と「外」の間の壁が高い上の世代の人たちとは全然違うなー、と思うことがしばしば。  変化する日本を感じます。


15 responses to “「内」と「外」

  • りょん

    欧米人がFacebookで友人を増やしていく一方で
    日本人は既存の友人を登録するだけなのでmixiは利用が頭打ちという話もありますよね。
    私も数時間しか話したことない人の家に泊まりに行くことがありますが
    「「内」と「外」の間の壁が高い」親には内緒にしてます。笑

  • マリカ

    欧米人のFacebookの使い方は旅先で数時間話しただけの人もどんどん登録して行くから何百人、日本人は元々親しく付き合っている友人を登録するから数十人、と言う感じなんでしょうか。確かに私も初対面の人に対しては垣根を高く持ってしまいます。一度会っただけの人に自分がどこで何をやっているか詳しく知られたくない、ような。
    >全員、1回会っただけ(会った時間1-2時間)なのに
    友達の友達は友達、みたいな感覚ですかね?
    私ももうちょっと、”「内」と「外」の間を軽々としなやかに越える人”へと進化しようかなと思います。このままだと世界だけでなく変化する日本からもおいて行かれそうですし(笑)

  • white tiger

    la dolce vitaさんこんばんは
    >未知の人とのコミュニケーションの敷居が低い
    というのには納得です。空港で飛行機が遅れた時隣に座っていた
    英人おばちゃんがいきなり話しかけてきてびっくりしました。
    (去り際にはメールアドレスまで頂き…笑)
    うちの学部は割と閉鎖的な事で有名なのですが
    同じ出身大学だと面識なくてもアポさえ取れば意外に皆さん会ってくれます。
    「自分の写真をupしているかどうか」も
    mixiとfacebookの大きな違いですよね。

  • インフル

    >日本のような安心社会では「一見さん」を仲間に入れないこと
    昔のマグレブ商人と同じことしてますね。
    日本の場合、だました方が比較的得なのが問題かと。
    >日本人でもこの「内」と「外」の概念
    田舎の酒飲みだと一回飲むとすぐ打ち解けたりしますけどね。

  • kany

    >今の20代(のたぶん一部)。
    ()をつけるあたりに、Yokoさんの洞察力の高さを感じました(笑)。
    オープンな人は垣根が高い人も受け入れられるけど、垣根が高い人はオープンな人を見ると「こいつは怪しい奴では?」とさらに垣根が高くなっちゃうのが、「内と外」概念の残念なところかと。一度仲良くなると非常に人情に厚い(悪く言うとお節介な)付き合いに発展しますが(←なんて客観視しつつ、自分も無意識のうちに若干やっていそう・・・)
    white tigerさんも書いていらっしゃいますが、空港や宿で偶然会っただけで、特別な縁があったわけでもないのに、なぜかメールアドレスを交換しちゃうような人、いますねー。困惑半分嬉しさ半分になったことが幾度かあります。そういえば、アメリカで会った韓国人女性もそれでアドレス交換しました。アジア人とはそれが唯一かな。日本だけでなくアジア全般で広がってオープンになっていくと良いなぁと思います。

  • Kei

    ははは。面白い記事ですね。
    自分はmixiで、友達登録したけど交流なくなった方(旧車関係でマイミクになった二回り以上年上の女性)からご丁寧に、「最近アクセスや交流無いし、申し訳ないけどマイミクをやめます」とメール来て友達登録を外されたことあります(笑)。
    ただし自分にも経験ありますが、SNSはフレンド登録者やコミュニティが増えすぎると訳が分からなくなってしまい、それらを間引きをするときあります(笑)。最近はmixiコミュニティーが登録上限まで達して、厳選して間引いてます…。
    日本人はSNSでフレンド登録が少ない傾向があるのは、人間同士の垣根によるものだけでなく、整理整頓されて使い勝手の良いモノを好む日本人の特性も影響してるかもしれませんね。
    自分も、欧米人や日本人以外のアジア人は基本的にオープンな人が多いことに全く同意です。
    数年前ペンフレンドだった女の子の街(西ヨーロッパの田舎街)に観光に行った際、当日になって家へ誘われ家族総出でディナーでもてなされ、ホテル取ったのに家に泊まるように強く促されてビックリしたことあります。
    娘と一回り以上年上の初対面のアジア人を、よく家に泊めるよな〜と(笑)。
    でも日本でも田舎のほうなら、意外と素朴で人懐っ

  • beaver

    私は社交的なタイプではありませんが、それでもアメリカやカナダに住んでいるといつのまにか垣根が低くなっているようです。日本に帰ったときに電車に乗ったところ、隣の女性が気分が悪いのか、または泣いているような雰囲気でした。「大丈夫ですか?ティッシュ、いりますか?」と声をかけたところ、大丈夫なようだったので安心しました。その話を家族や友人にしたら、「え?声、かけたの?」という反応が返ってきました。別に声をかけて大丈夫だったらそれでいいし、まったく躊躇することなく声をかけたので、「え?声、かけないの?」と驚きました。
    日本人の垣根の高さの理由の一つとして、Noというのが苦手なことが挙げられるのではないかと思います。友達から何か頼まれたときにNoといいづらくて面倒だから、はじめから友達を本当に親しい人たちに厳選しているのかもしれません。

  • la dolce vita

    >りょんさん
    >私も数時間しか話したことない人の家に泊まりに行くことがありますが「「内」と「外」の間の壁が高い」親には内緒にしてます。笑
    親に理解してもらうのは厳しいでしょうねー・・・ 子供はそういうもんだ、とある種放っておいてくれるといいんですが(笑)。
    >マリカさん
    >確かに私も初対面の人に対しては垣根を高く持ってしまいます。
    >一度会っただけの人に自分がどこで何をやっているか詳しく知られたくない、ような。
    私も20代前半までは「親しい人とだけしかしゃべりたくない」とか思ってましたよ。 働き始めてから、仕事で初対面のおじさんと話すのが苦で「知ってる人としか話したくない」とか言ってて、友達に「商社向いてないねー SEになれば?」とか言われてましたし(笑)。
    こちらに書きましたが(↓)、
    http://www.ladolcevita.jp/blog/global/2009/04/dodgynot-dodgy.php
    いろいろ試してみる中で「怪しい」とか「怪しくない」の区別がついていくので、try and errorだと思います。
    Facebookやmixiはたしかにどこまで自分の情報を書いているかによりますしね。
    >white tigerさん
    >うちの学部は割と閉鎖的な事で有名なのですが同じ出身大学だと面識なくてもアポさえ取れば意外に皆さん会ってくれます。
    SFCでしたっけ?(違ったらごめんなさい)
    あそこは海外の大学みたいですよね、ノリが。 めちゃくちゃ一匹狼だらけのうちの大学とはあまりに違ってビックリしました。
    >インフルさん
    >田舎の酒飲みだと一回飲むとすぐ打ち解けたりしますけどね。
    それで思い出したけど、大阪のおばちゃんはすごいですね。 電車の中で他人同士、話し始めて盛り上がってるのを頻繁に見たのは大阪のおばちゃんだけです。

  • la dolce vita

    >kanyさん
    >一度仲良くなると非常に人情に厚い(悪く言うとお節介な)付き合いに発展しますが
    これが、南欧とかはまた違うのでわかんないですが、アメリカ人なんかはそうでもないですねー
    Friendlyなんだけど踏み込まない、というか。
    数時間会っただけの人を泊めても、歓待して世話を焼く、というわけでもなく、鍵だけ渡すから自由に使ってね、って感じ。 「忙しいからご飯も一緒に食べられないけど」というケースも多くて、このへんはアパートをシェアするのが平気な文化からきているのかもしれない。
    メールアドレスも交換はするんだけど、その後メールはなかったり1回だけで終わったりね。 初めの敷居が低いだけで、親しく付き合うのは結局一部だったりします。
    >Keiさん
    >自分はmixiで、友達登録したけど交流なくなった方(旧車関係でマイミクになった二回り以上年上の女性)からご丁寧に、「最近アクセスや交流無いし、申し訳ないけどマイミクをやめます」とメール来て友達登録を外されたことあります(笑)。
    その人面白すぎ(笑)。 黙って外せばいいのに。
    >娘と一回り以上年上の初対面のアジア人を、よく家に泊めるよな〜と(笑)。
    そりゃすごいですねー
    私は20歳のときのフランス語学留学で同じクラスだったスウェーデン人の友達の家(ストックホルム)に泊まりに行ったら彼女の親に「そんな知らないアジア人泊めて大丈夫?」って心配されましたよ・・・
    知らないアジア人って・・・「私たち1ヵ月毎日同じクラスで勉強したのになー」と悲しかったです。 ヨーロッパでも随分違いますね。
    >beaverさん
    >その話を家族や友人にしたら、「え?声、かけたの?」という反応が返ってきました。
    声かけますよねー、普通です、声かけます。
    >友達から何か頼まれたときにNoといいづらくて面倒だから、はじめから友達を本当に親しい人たちに厳選しているのかもしれません。
    考えなかったけど、それはあるかも。
    断られたり意見が違ったら必要以上に傷つくのが嫌だ、ってのは心の奥底にあるでしょうね、気づいてなくても。

  • まつーら

    僕はベトナム時代、自分の家の部屋が余っていたので
    CouchSurfing(http://www.couchsurfing.org/)ってのに登録してて、
    見知らぬ旅行者をどんどん泊めてましたわー。
    特にあの国はバックパッカーが多かったので。
    日本人の友達には、めちゃめちゃ心配されてましたけどね。
    でも、泊まりに来る人来る人ほんとみんな良い人で。
    CouchSurfingのコンセプトがボランティア的な善意の人集まれ!
    みたいな感じだったからだと思います。
    今でももし部屋が余ってたらやりたいんですけどねぇ。。
    ただ、日本ではなかなかこれは浸透しないだろーなーって思ってます。
    何より家が狭いしですしね。

  • Kei

    嗚呼・・・。また尻切れトンボのコメントになってしまいました(恥)。次からは携帯電話でコメントしないで、PCからコメントするようにします・・・。
    ちなみにmixiでお断りメールを出してフレンド登録を外してきた方には、自分はむしろ好感持てましたね。大人の対応というか・・・。
    自分はその頃に車にはもう興味なかったし、その方の日記もあまりにも些細なプライベートな出来事ばかり(でも早く旦那と死別して子供三人を育て上げた、波瀾万丈人生を送ってる方ですけど)で無関心だったんで、ほとんど交流無くなってましたしね。
    むしろコッソリ外されてた場合は、ビックリというかショック受ける場合ありますよ。自分もしたことあるんで人のことは言えませんが(笑)。
    スウェーデン人は日本人は、対人関係のメンタリティは近いみたいですよ!スウェーデン人の友人や同僚は、それを自他共に認めてますね、よくも悪くもスウェーデン人はラテン系ヨーロッパ人とは全然違うと(笑)。

  • インフル

    池田信夫 blog
    初めて見ましたけどちゃんと書いてありましたね。
    ちょっと恥ずかしいのと、同じ本読んでるんだなという、
    ある意味安心感?みたいな
    関係ないですが、銃・病原菌・鉄買いましたので(確か紹介してましたよね)
    暇見て読みます。

  • la dolce vita

    >まつーらさん
    >見知らぬ旅行者をどんどん泊めてましたわー。
    そ・それはすごい・・・ 私は見知らぬ人は泊められないです・・・
    >ただ、日本ではなかなかこれは浸透しないだろーなーって思ってます。
    >何より家が狭いしですしね。
    家の狭さもそうなんですけど、やっぱり心理的・習慣的なものでしょうね。
    今の家にゲストルームはいらないと言ったのは私なんですが、あまりに来客が多く不便なのでやっぱり次に住むところはゲストルーム作ろうと思ってます。
    >Keiさん
    >むしろコッソリ外されてた場合は、ビックリというかショック受ける場合ありますよ。
    えええ! そうなんですか? 私、やったことありますよ。 どんなに思い出そうとしても思い出せないようなマイミクをacceptした自分が悪いんですが。
    >インフルさん
    >関係ないですが、銃・病原菌・鉄買いましたので(確か紹介してましたよね)
    >暇見て読みます。
    おお、そうですか。 また感想教えてください〜

  • ドイツ特派員

    la dolce vitaさん、
    このことで二つほど思うことがあります。一つは「アクション型」と「リアクション型」ということでして、最初に自分の型にもって行くか、相手の型に合わせて自分を作って行くか、という違いがあるんじゃないか、ということを考えています。これは別に「話し役」と「聞き役」ということではないんです。で、良い悪いではなく、日本人の場合、「リアクション型」が多いんじゃないか?と言う気がするんですね。多分私自身もリアクション型なんでしょう。ところが、最近は「アクション型」が増えてきた、ということが変化としてあると感じています。まあこれもサッカー評論からヒントを得たんですが….。
    もう一つは、「緩やかな連帯」ということで、これは玄田有史氏の「仕事の中の曖昧な不安」という本に書かれている概念です。例えば親子とか夫婦とか上司部下というのは「強い結びつき」であるのに対し、それほど関係が深くないが、常に繋がっている関係を「弱い結びつき」としていて、人が色々と困難があった場合に助けとなるのは、この「弱い結びつき」だとしています。あくまである程度の「強い結びつき」があった上でのことではあろうと思いますし、そういう「弱い結びつき」というのは「強い結びつき」の上に築かれているものだと思います。
    で、こういったネットでの結びつきというのは、この「弱い結びつき」として機能できるんじゃないか、と考えています。ある種の「心のセーフティーネット」というか、マラソンの給水というか。私自身、ここだけではなくネットやその他の繋がりが爆発的に増えたのが2年ほど前でして、それがどれだけ転職などで心の支えになったか。
    だから、中々仕事で上手く行かない奴なんかを呼び出しては、「一緒に飯食おうや」とかいって知り合いを紹介したり。それがどうなるかはその後の本人のあり方ですが、私が少しでも助けになったようなことはそいつにも出してやりたい、と思います。

  • la dolce vita

    >ドイツ特派員さん
    >「アクション型」と「リアクション型」
    うーーん、コミュニケーションがお互いのリアクションを見ながらであることは、別に日本だろうとどこだろうと変わらないと思うんですよね(まあ、たしかに人の話聞かずにガンガンしゃべる人も多いけど)。 ただ、その「このくらいガンガン相手の懐に入っていっていいだろう」というコミュニケーション開始時の暗黙の了解のレベルが全然違うと思います。
    初対面の相手との会話の分野も違う。 日本人は年齢や子どもの有無などものすごくプライバシーに関わることは、いきなり聞いてくるのに対して、他のもっと軽いトークはあんまりしなかったり。
    >それほど関係が深くないが、常に繋がっている関係を「弱い結びつき」としていて、人が色々と困難があった場合に助けとなるのは、この「弱い結びつき」だとしています。
    “Weak tie”ってやつですね。 以前ちょこっと書きましたが(↓)。
    http://www.ladolcevita.jp/blog/global/2009/03/post-152.php
    「強い結びつき」は情報や人的ネットワークをすでに共有しているので、新しい情報が出てきにくいが、weak tieは違う情報や人的ネットワークを持っているので、実質的な助けに結びつきやすいってやつです。
    私もだいぶ増えました。

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