昨日が日本人の海外就職における「日本の力」だったので今日は「個人の力」の話。
梅田望夫さんの「自分の力と時代の力」講演録にはこうあります。
非常に能動的で積極的で勉強しようと思っていて、一生懸命生きようと思っている人たちにとっては、その人生を助けてくれる道具がものすごく充実していて「自分の力」の増幅装置になる。 かりに「時代の力」が衰微していても、ミクロに見れば、いろんなオポチュニティが目の前にあるわけだから、そういうところを「自分の力」でこじあけていける。
この「個人の力(梅田さんは「自分の力」と書いていますが)の増幅装置が充実している」という点については、私がINSEADを卒業したわずか5年前に比べてもそうなってきている、と感じます。
その話の前に、増幅装置はあくまで増幅するためのものであり、もともとが小さければ増幅幅も小さいです。
『勝間和代の日本を変えよう』に、
いま日本で年収1,000万円もらっている人がアメリカで就職しても10万ドルもらえない
とあって、その通りだな、と思いました。 これは英語が完璧に使えるとして、スキル・学力・ノウハウがそのままの前提での話です。
日本は就職した企業(日本企業の場合、多くが新卒入社)の業界とその企業の業界内での位置、プラス年齢でほぼ年収が決まるので、大手企業で課長レベルになれば(都市銀行・証券、総合商社は課長にならなくても30代前半で)年収1,000万超えますが、その中で、アメリカじゃなくてもヨーロッパでもシンガポールでも10万ドルの価値がある人は少数だと思います。
「自分がもらいすぎ」という事実に直面するのは辛いですが、私は見て見ぬふりをして後からもっと痛い思いをするのは性格的に嫌なので、早めに痛い思いをすることにしました。
どう考えても世界的に見て高い人材コストは是正されないと日本企業は生き残っていけないし、自分が逃げ切り世代でないことはけっこう前に気づいてしまったので(→『「一身にして二生を経る」時代に生まれて』)。
話がいきなり逸れてしまったので、「個人の力」に戻ります。
私はINSEAD留学中にヨーロッパでちょこっと就職活動したもののさっぱりで、さくっとあきらめて帰国しました。 理由は昨日のエントリーに書いた、
1. 同じ職種・職務内容であれば日本の方が待遇が良いので、待遇を下げて大変な思いをしてまでどうしても現地就職したいというモチベーションが続きにくい
実はこの時の自分の踏ん張り力のなさには、いまだにちょっと後悔しているのですが(その時の経緯はコチラ)、人間万事 塞翁が馬。 その後いいこともあったので、よしとしよう。
その2004年フランスに比べて2008-09年シンガポールでの就職活動では世界的大不況にも関わらず(不況だからこそか?)、私という個人をより本質的に問われた気がしました。
それは突き詰めると「できる人であれば国籍は問わない」という姿勢。
特に少人数のプロフェッショナルファームでは外国人ばかりからなるオフィスも多く(→『絶滅寸前? 駐在員手当』)、私の新しい同僚もイギリス人とロシア人です。
言い換えると以前は「英語と日本語しかできないし、ビザも持ってない日本人なんかいらないよ」とおそらく思われていたのが、「できるんだったら別に日本人でもいいよ」とニュートラルな位置に格上げされた、というか・・・
もちろんシンガポールという高度スキル人材の外国人に開かれた国家であることも大きいです。
そして個人を見極める過程でやはり超重要だったのが、リファレンス(信頼できる人からの紹介)。 今の仕事も紹介でした。
岡島悦子さんの『抜擢される人の人脈力』に「リファレンス文化の到来」とありましたが、あーー、本当にその通り。
そして、その過程でLinkedInなどこの4年の間に普及した「個人の力」増幅装置の存在も大きかったです。
そしてこの傾向はきっと不可逆なのでしょう。
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