私には、3人子どもがいて上から男、男、女である。
それを知った人からは100%、「3人目が女の子でよかったねー」、「男の子2人産んだ後にまだ3人目って勇気あるねー(「この2人でしょ?」と上の2人を見ながらあからさまなニュアンス) もう1人男の子が産まれたらどうしよう?って思わなかった?」と言われる。
「全員男の子だったらよかったのに、残念!」と言われたことは1回もない。
1回もないのだけれど、実は男でも女でもどっちでもよかった。 男の子3人でも全然よかった、むしろ「3兄弟の母なんて男前っ!」とさえ思っていた。
実際、女の子が産まれてみて、もちろん末っ子である娘は本当に可愛い。 けれど上2人だけだった時には抱いたこともなかった、封印していた記憶が甦ってきた。 メディアでセクハラや性暴力のニュースに接するたびに、ひとつ、またひとつと記憶が甦ってくるのだ。 何年も十数年も忘れていた、と思っていた、当時は誰にも言わなかった、言えなかった、その後封印したので結局誰にも言わなかった記憶が。
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10歳の時、小学校からの帰り道、学校から家が一番遠くて最後まで一緒だった友達と別れてひとりになった私をつけてくる自転車に乗った若い男がいた。 自宅マンションまでついてきたその男に家のドアの前でつかまり、数分間お尻をまさぐられた。 なぜそんなことをするのか意味がわからなかったし、スカートを履いていた自分が悪いのだと結論付けて、母がつくってくれたそのスカートをハサミでざくざくに切って捨てた。 赤い生地にうさぎ柄のスカートだった。 その日から私はスカートを履くのをやめた。
11歳の時、近所の本屋で立ち読みをしていた。 するとお尻のあたりに変な感触がした。 後ろを振り返るとショートパンツの私のお尻に知らない男の手が延びていた。 通路が狭い本屋で男が立ち読みをするフリをしながら私のお尻の割れ目をまさぐっていた。 怖くて声も出なかったし動けなかった。 男はキツネ目が少年隊のヒガシに似ていた気がして、その日からヒガシを見るたびにあの感覚がフラッシュバックした。
16歳の時、大阪の高校に電車通学を始めた。 電車内の40分間、痴漢に遭わないために私が取った方法は始発電車で座ることだった。 始発駅まで戻り何本も電車をやり過ごして毎日座って通学した。 座って本を読みながら通勤したいサラリーマンに混じって、16歳の私は痴漢に遭わないために朝の20分を電車を待つことに費やした。 学校で聞くと、友人はみな痴漢にあっていた。 日常茶飯事だった。
20歳の時、ローマ郊外の美術館に行った帰り、バスを待っていたら車に乗ったイタリア男に「ここの道路のバスは廃止されたから車で次のバス停まで送ってあげる」と言われ車に乗せられそうになった。 断ってもしつこく付いてきて、それでも断ったら車の中から性器を見せられた。
23歳の時、イスタンブールから香港経由で成田行きの便が台風でキャンセルになった。 あてがわれたホテルで、同じ便で同じようにホテルをあてがわれた日本人の男に部屋まで押し入られてレイプされそうになった。
24歳の時、取引先の社長の接待でチークダンスを強要された。 上司も同僚も誰も助けてくれなかった。
25歳の時、終電を逃したのでタクシー乗り場を探して上野駅を歩いていたら知らない男に「おねえさん、いくら?」と声をかけられた。
28歳の時、社外の某サークルの飲み会がホテルのスイートルーム貸し切りであった。 酔った知り合いに無理矢理キスされ、別室で襲われそうになった。
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私はブログで過去の勤務先を公表しているので、個人が特定されそうなことは詳しく書けないし、他にもここにも書けないようなことがたくさんあった。 上記は、私くらいの年の女性で性被害者だという自覚もない、その後の人生に(明らかに)影響したと思っていない普通の女性に起こっていることだと思う。
当時は「誰でも多かれ少なかれ経験することだ」と自分を納得させて封印した。 特に若い頃は、自分を責めたり、逆に起こったことを正当化しようとした。 そして自分なりの防御策を編み出し、心を鎧で固めた。 セクハラはあまりに頻繁なので心は麻痺していった。
娘が産まれて初めて、毎日のようにある性暴力のニュースをきっかけにこれらの記憶が次々と呼び起こされて、こんな経験を娘にさせたくないと思うようになった。 こんなことが日常茶飯事の世の中で、私はどうやったらこの子を守れるのだろうか?とずっと思っていた。 上の2人が心配じゃないと言ったらそんなことはない。 男の子だって被害に遭う可能性があるし、男らしくなければいけないプレッシャーなどまた別の種類のプレッシャーがある。 でも娘に対する恐怖と心配は自分自身の記憶と重なってリアルで、その類いのニュースを見るのが苦しくなった。
先々週からハリウッドの有名プロデューサーの性被害にあった女優たちが次々に過去に受けた被害について告白している。
共通しているのは、被害にあった時期がいずれも10代後半、20代前半と若かったということ。 人生経験が少ない時期に、自分のキャリアをいつでも握りつぶす力を持った(被害者には少なくともそう思えた)男を相手に本当に怖かっただろうと思う。
そして、手記の出版をきっかけに名字も公表した伊藤詩織さん。 彼女も20代半ばのまだキャリアをスタートしていない時期に事件は起こった。
私のケースも多くは、人生経験も知識もなく、誰も対処法を教えてくれなかった、20代前半までの若い時期に起こった。
伊藤詩織さん、そしてワインスタインの性被害者で声をあげた全ての人たちへ(この中には男性もいる)、声をあげてくれてありがとう。
あなたたちのおかげで私はようやくわかりました。 私たちがすべきことは「自分の子どもたちをどう守ればいいのか?」と嘆くことではなく、あまりにも日常となっている事実を隠そうとすることではなく、子どもたちがまだ小さいうちから、深刻なケースに出くわす前からこう伝えること。
あなたの体や人格は誰のものでもなくあなたのもの。
もし体を触られたり嫌なことをされたら、全力で逃げて、そしてママやパパに言うこと。
もしママやパパに言えないと思ったら、嫌なことをした人を知ってる信頼できる大人に言うこと。
もし、その信頼できる大人が何もしてくれなかったら、また別の人に言うこと。
とにかくNOと言って、逃げて、そして誰かに助けを求めて。
その人はあなたの人生を台無しにできるように思えるかもしれないけど、あなたの人生を台無しにできるのはあなたしかいないから。そして、絶対に他人の体や人格を貶めるような側に回らないで。
本当に自分に自信がある人は他人を貶める必要なんてない、そんなことをするのは自分の弱さの裏返しだから。
セクハラや性暴力は「現実にある」という前提で、起こった場合には、NOと言って全力で逃げてほしい、起こったことを自分の胸にしまうのではなく声をあげてほしい、と伝えることにしよう。 世の中には声をあげる勇敢な女性や男性がたくさんいて、その人たちをサポートしている人たちもたくさんいる、と伝えることにしよう。
まだ、そんな世界があるなんて夢にも思わず、兄2人のマネをして遊ぶ娘を見ながらそう思った。
本当に、声をあげてくれてありがとう。
伊藤詩織さんの本:『Black Box(Kindle版)』
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だいぶ機を逸したけれど、シェリル・サンドバーグの『LEAN IN(リーン・イン)』は男性にこそ読んで欲しい。 私はこれを読んで、女性の私でも思い込んできたこと、環境に思い込まされてきたことの記憶が次々溢れ出てきてショックだった。 男性には、自分の妹や姉、妻や娘などに置き換えて自分ごととして読んでほしいと思います。
October 15th, 2017 at 1:32 pm
あなたのブログにコメントし始めると、毎回、かつなんか往復に延々なんか書いてしまいそうで自制してるんですが、今回のもなんかズッシリ来ました。
詩織さんの話は詳しく聞くとめちゃ迫真のリアリティある話で、なんとならんもんかなあ、と思っていました。
この問題を男から見ると、『実際にそういう行為をする男』は男全体から見てごく一部(と思われる)なため、自分のジョーシキから勝手に考えて『まあ殺人や強盗にあうようなレベルの不幸なケース以外では、実際にはそんなたいしたことされてないのに騒いでるんだろう』とか思いがちな齟齬があるように思います。で、そんなレアケースでなく同世代の女の子がカジュアルに相当な事されてることを実際に知ると、その時は『かなりショック』だったし、『え?そんなキモイことする奴がそんなにカジュアルにそこらにおるの?』というショックがあると、この問題に対する男の態度は変わることが多いと感じます。
つい秘密にしてしまう気持ちもわかりますが、男側から見た時の『このショック』に訴えていくことで、『そらあかんやろ、どこの野蛮国家やねん』という共有了解も取り付けられる気がします。なんか、この『スイッチ』をバシッと押せればいいのに、なんか周辺の違うところを乱打してしまい、『俺そんなことやったことも考えたこともないのに、男という野蛮な種族全体を糾弾してやるみたいな態度とられてマジめんどい』みたいな反応を誘発してしまってる側面があるような。
普通の男から見てもそんなんキモすぎるやろ、と普通に思っちゃう回路はある、というところの信頼が生まれてくるといいのにと思いました。もちろん男がどう思おうと女から見たら嫌なのよ、という領域も啓蒙されていくべきなんでしょうけど、まあ順番としてはね。
October 15th, 2017 at 8:17 pm
コメントありがとうございます。 ポイントはものすごくよくわかります。
まず、子どもへの性犯罪(私の場合だと10歳と11歳のケース)とそれ以降のケースを分けて考えたいと思います。
子どもが被害者となった場合、多くの場合は、起こったことが理解できないのです。 そういうことが起こりうるという「常識」がないので、想定範囲外のことに混乱し、起こったことを上手く処理できません。 親をはじめとする他人に言う言葉さえ見つからないのです。 加害者はその点も踏まえて声を出せない子どもを狙っている点で卑劣極まりない行為ですが、本文で書いたのはまさに「寝ている子を起こすな」ではなく、そういうことが起こりうることを年端のいかない子どもに事前に伝えておこう、という意味です。
それ以降の場合、性被害で多いのが”Victim Blaming”(被害者に過失があったと責めること)です。 これは日本でだけではなく、どこでも多いです。 ものすごく勇気を出して親しい人に打ち明けてみても「スカートはいてたからじゃないの?」「そんな場所に行くからよ」など被害者に落ち度があるかのようなことを軽く言われて、どうなるものでもないので、もう一切誰にも言わないと誓うようになります。 私も上記イスタンブールのホテルのケースでは男友達に打ち明けたら、「いや、部屋のドア開けたからでしょ?」と言われ瞬殺されました。 ドアをノックされたら開けるのが普通の行動だと思うのですが、被害者を責める場合が多すぎます。
打ち明けられた方もそんなケースを想定してないので反応に困るというのが本音なのかもしれませんが、これに関しては、災害を想定して避難訓練を行うように、学校でいじめに遭遇したら相談する番号を教えるように、友人に被害を打ち明けられた場合の対応方法を、ロールプレイでもして訓練するべきだと思います。
加害者が男の全体からみてごく一部なのは多くの人の共通理解だと思いますが、Victim Blamingをする人(女性でも多いです)が被害者を沈黙させているという認識は広まる必要があると思います。
↑ というのも「周辺を乱打」してるでしょうか?(笑)
October 16th, 2017 at 8:56 pm
いやいや、そういうところから始めて行くのがいいと思いますよ。
詩織さんの件ではラジオで小一時間体験を話した番組を聴いたんですが、なんというか明らかに被害者なのにその立場を周りにわかってもらうまでにとにかく苦労していて、『被害自体もさることながらこの事件後の孤立無援感が凄くて、こりゃ社会不信にもなるわ』と凄いショックを受けました。
普通に物盗まれた時と比べると、警察とか友人とか婦人科医とか支援団体とか助けてくれるはずの人が助けてくれず、まず被害を理解してもらうまでに大変な苦労をする』感じで。
勿論世の中怖い女の人もいて、なんでもかんでも女性の申告通りに処罰するとなるとデッチ上げが横行する危険(痴漢の時のようにそれを犯罪に利用する集団が出てきたり)もあるわけですが、あなたの言うような対策から始めて社会と被害女性との間のコミュニケーションロスがマシになってくれば、無駄に関係ない男を敵にしてしまうような要素も減らして、さらに実効性ある対策が打てるようになっていくと思います。
繰り返しますけど、詩織さんのケースをラジオで詳細聞いた時は、こりゃほんと社会不信になって全ての男を敵に思い始めてもしゃあないな、ぐらい思ったんですよね。ただまあそのまま怨念だけ暴走させても誰のためにもならないので、被害者の周囲にいる人が、毅然として、でも、冷静に問題をさばいていくことが必要だと思います。変わっていくといいですね。