ヨーロッパ最後の中世 マラムレシュ – 1

昔からずっと旅が好きで、次の旅行の予定がないと落ち着かない私。
旅のスタイルは学生時代のバックパッカーから始まり、年を経るごとに変わってきましたが、子どもが産まれてからは(失敗の経験も踏まえ)子連れで行きやすいところがメインになっていました(*1)。 でもラクなリゾート地だと、旅のもたらす未知の世界との出会い、知的好奇心をびんびん刺激される感覚が満たされず、何年もフラストレーションが溜まっていました。
*1・・・過去の旅の記事はブログの「バカンス」カテゴリーから読めます→こちら。 小さい乳幼児連れ旅行のコツは『子連れバカンスを劇的にラクにするTips』

私が旅にもっとも求めるもの”Authenticity”ー観光客向けにパッケージされた体験でもなく、博物館に収容された展示でもなく、人々の生活の営みの一部として根付いている文化や生活習慣に直に出会いたくて飢餓感を抱えていました。
この夏行った場所は『ヨーロッパ最後の中世』と呼ばれるルーマニアのマラムレシュ地方。 私が旅に求めるもの、「本物感」、「過度に文明化されていない」、「衣食住全てにおける豊かな伝統文化」、「美しい景色」の全てが揃っていました。 夏の観光ピークシーズンだというのに、行くところに行けば観光客にほとんど出会わない! 穴場中の穴場です。


マラムレシュ地方の場所はルーマニア北部、ウクライナとの国境近く。 ロンドンからだとCluj-Napoca国際空港にLCCで直行便が飛んでおり、空港から車で3 – 4時間。 道路はきちんと舗装されており、現代では決して僻地ではありません。 ただ舗装道路が通ったのは過去10 – 20年の話、三方をカルパチア山脈に囲まれ、北はウクライナとの国境という立地、村々は山と山の間の谷に離散しており、一年の半分は雪で閉ざされます。 この立地のため外の人がほとんど足を踏み入れず人々は何百年も中世のままの生活を保ち続けていたようです。

ルーマニア(と現代呼ばれている地域)の歴史は悲惨です。 常にどこかの侵略にさらされ植民地として支配下におかれ、領土は絶え間なく変更され、独立国だった歴史がほとんどないのです。 ローマ帝国→マジャール人(ハンガリー人)・サクソン人(ドイツ起源)→モンゴル帝国→オスマン・トルコ帝国→ハプスブルク帝国→オーストリア・ハンガリー帝国と古代から為政者が次々と変わりますが、1859年に統一ルーマニアとして初めて独立国となります。 それも束の間、第一次・第二次大戦でロシア・ハンガリーと領土の割譲・奪還を繰り返し、第二次大戦後はソビエトの影響下に入り1947年から40年に渡って東欧諸国の中でも最も残酷な共産主義政権が支配しました。 悪名高い秘密警察を使って独裁体制を敷いたチャウシェスク大統領が1989年12月に起きた革命で失脚、即座に処刑された姿は、私くらいの年齢以上の人はテレビで見た記憶があると思います。 突如訪れた共産主義の崩壊はルーマニア経済の崩壊をもたらし、この間に200万人もの人が他国へ移民労働者として国外脱出したとされています。

常に激動の中にあったルーマニアの北部にあるマラムレシュ地方、美しい村々の中でもとりわけミレーの『落ち穂拾い』そのままの風景が広がり、手作業による農業・牧畜業が生活の営みの中心であるBrebという村の趣きは少し異なります。 肥沃な土地で人々は古代から農業と牧畜業による自給自足の生活を営んでいました。 上記の通り、外部から隔離された地理的立地にわずか国の人口2.5%が住んでいただけであったため、40年に渡り国民を搾取し困窮に陥れた共産主義政権もこの地方は放置していました。 全て自給自足の彼らには現金収入がなく没収する物が何もないからです。

(山あいにあるBreb村)
以下、1996年から2004年にかけてBrebを含めたこの地方に住み、今も頻繁にBrebを訪れるWilliam Blackerの著作“Along The Enchanted Way”から1990年代後半のBrebの描写です。 写真は全て私が旅行中に撮ったもの、20年の間にほとんど変わっていないことがわかります。
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(干し草の山の形がこの地方独特なBrebの風景)
4月から10月まではみな朝から晩まで野原に出て働く。 男性は鎌で草を刈り干し草の山をつくるのが仕事。 鎌は村の鍛冶屋がつくり、自分で毎日手入れをする。

(手作業で干し草をつくる人たち。Brebでは農作業の機械を見たことがなかった。)
最も大事な財産は牛・馬・豚・羊・鶏肉などの家畜で、どの家庭も数種類の家畜を飼育している。 毎日、牛乳が搾れバターやチーズがつくれる牛は最も有益な家畜だ。 朝、納屋から出して放牧し夜には自宅横の納屋に戻す。 豚はクリスマス前に屠殺してクリスマスのご馳走となるほか、耳から腸に至るまで全ての部位を残らず調理して保存食品にする。 羊は乳を搾ってチーズにしたり羊毛が取れるほか、イースターのごちそうだ。 馬は移動の足であり農耕に必要な労働力である。 全ての家畜は周囲の山から現れる熊や狼から守らなければならない。

(干し草を運ぶ荷馬車。村の中で出会った乗り物は、荷馬車・トラクター・乗用車が3分の1ずつくらい)

長いので分けます。『ヨーロッパ最後の中世 マラムレシュ – 2』に続く。

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*マラムレシュ地方の生活を写真に撮り続けている写真家のみやこうせいさんという方がいます。
『羊と樅の木の人々―マラムレシュ写真集 TRANSYLVANIA抒情』
『羊と樅の木の歌―ルーマニア農牧民の生活誌 』

*ルーマニアに行きたくなったら・・・
『旅行人159号特集ルーマニア – ヨーロッパ最後の中世』
『ルーマニア、遥かなる中世へ (KanKanTrip)』


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