前も『海外就職における「日本の力」』に書いたのですが、梅田さんの「自分の力と時代の力」講演録は示唆に富むので、今日もそこから。
僕の場合は、「誰もやっていない新しいこと」というのに惹きつけられたために、当時の最先端であったITをやってきた
という箇所を読み思うところがありました。
私はずっと(最先端ではなくとも)先端テクノロジーをビジネスサイド(事業化・投資・アドバイス)からやっています。 だからといって先端テクノロジーが大好きかというとそうでもなく、『ガラパゴス化する日本』にも書いたとおり消費者としての私はアーリー・マジョリティー。 技術は『キャズム』を超えないと消費者としての私にはたどり着きません。
Wikipedia : キャズム(書籍)
今も周りがスマートフォンだらけになってきて、携帯(ソニエリのウォークマン携帯)は通話とSMS機能しか使っていない私もさすがに肩身が狭くなってきました(i-mode以降の携帯技術革新を経た日本と海外は全く状況が異なり、携帯の使い方だけは10年前に戻った感がある)。
基本的に男性が多い業界で、しかもギークとかガジェットオタクとか「3度の飯より技術(ガジェット)が好き」な人たちと比べると、私は技術もあまりわからないしすごい情熱もないし・・・、と肩身が狭くなることはしばしば。
そんな私がなぜこういうキャリアになってしまったかというと新卒で入社した総合商社での配属先がIT部門だったため(社内システムの部門ではなく事業領域としてのIT)。
なお、総合商社のIT部門というのは(会社によって異なるが)、通常、資源・エネルギー・食糧etc. といったコモディティー系と比べ、部門のサイズも売上も利益も投資規模も何もかもが小さく日陰部門です(言いすぎ?)。 これにはいろいろ理由があるのだが長くなるので置いておいて、なぜ日陰部門を希望したかというと(第一志望が通って配属された)理由は2つ。
1. 先進国に出張・駐在できそう
2. 新しい業界なので、業界にいる人も古い考えに固執しておらず、女性が比較的働きやすそう
この2つの理由のため志望した結果、配属が叶いその後何度も転職しながらも結局はテクノロジーのビジネスサイドへと自分のキャリアは戻ってくるのでした(なので、一般的にキャリアチェンジは可能だが最初の就職も意外と超重要)。
先端テクノロジーという取扱う対象そのものではなく、周辺事情から選んだこの分野、その変化のスピードについていくのは本当に大変で肩身の狭い思いをしたことも何度もありますが(業界チェンジをはかったこともある)、最近は意外と悪い選択でもなかったな、と思っています。
理由その1:
揺籃期から成熟期に入ったITは、もはや食品業界、電気・ガス業界、建築業界といった縦割りではなく、すべての人の生活に欠かせないものになってしまった(『Twitter初心者の長いつぶやき』に書いたように「現代の三種の神器」)。
たまたま、そういう業界にいるので、普通の人に比べるとちょっとは強い(わかる)ことは棚からぼた餅、ラッキーだったと思います。
理由その2 :
私はギークではないので、技術に強くない普通の人の気持ちがわかる。
梅田さんが自分のことを以下のように「炭坑のカナリア」と表現されていますが、
「炭鉱のカナリア」の役割は、炭鉱内で有毒なガスが出ていれば真っ先に反応して、身を挺して後方に情報を伝えること。 時代の先端と言われる場所で先端的な生活をし、いろんな実験をして「ここは毒がありませんよ」「ここは病気になりませんよ」 「でも、あ、ここは近づかない方が良いです」(笑)と言えるような存在になっていたいと思います(『SVJEN : 梅田望夫氏(MUSE Associates)』より)。
私はギークと普通の人の間に立って「あ、今までギークしか知らなかったこれ、そろそろ本格的に来るかも」という発信をしたいと思っています。
なので、私のブログに出てくる新しいサービス・製品を知らなかったけど興味沸いた、という人はちょっとググってみてください。 あまりマニアックなものは紹介しませんので。
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