私の高校時代からの友人が銀座に画廊をオープンしました(右は応接室に飾ってあった、中川一政の「薔薇」)。
高校は大阪、大学は京都、就職してからは東京、と同じ場所にいて、彼が新卒就職した会社を辞め画廊の見習いになってからの苦労を見ていたので、ひとまずオープンに漕ぎ着けられて私も喜んでいます。
本当におめでとう。
銀座の中の銀座にある画廊を訪ねると、いつものとおり(いつも以上に)絵に対する想いを語ってくれました。
彼が扱うのは1900年代初頭に活躍した画家による日本の近代洋画。
「なぜその時代のその絵なの?」という私の問いに
「純粋にいい絵だと思うから」というまっすぐな答え。
江戸時代後期から明治時代にかけて日本が200年の鎖国から覚め、西洋のものが次々と入ってきた頃、当時、日本画を描いていた画家は全く技法も表現も異なる西欧の洋画にひどく衝撃を受けたんだそうです。
そのうち「どうしても自分の目で確かめ技法を身につけたい」という熱い想いを押さえきれない画家たちが自力でヨーロッパ(多くはフランス)に渡り始めます。
長い航海の船の中で皿洗いをしながら、もしくは船旅を払うお金もないのでシベリア鉄道を乗り継ぎながら、画家たちは海を陸を渡りフランスにたどり着きます。
たどり着いた人たちの中でも多くは目的を見失い消息不明になったり逃げ帰ってきたりする中、確固たるブレない意思を持った一握りの画家だけが、食い入るように絵を見ながら何百枚と模写し、持ち帰って日本の画家に伝えたり、現地で絵を描き続けたりしたのです。
片道切符で後がなく、血の滲むような努力をしながら表現技法を自分のモノにしようとした当時の画家が描いた洋画は、他の時代の「あとがある、他の選択肢がある」画家たちとはレベルが違う、という友人の弁。
左は日本人が初めて描いた油彩画と言われる「裸婦」(『山本芳翠の世界』より)。
これを描いた山本芳翠は「近代洋画の父」と呼ばれ、法律を学ぶためパリに留学中の黒田清輝(中学の美術の教科書に載ってたような)に画家への転進を勧めたことでも有名だそう。
背水の陣で挑んだからこそ別格の域まで達することができた。
現代でも、いつの時代でも不変ですよね。
並々ならぬ覚悟で銀座に画廊をオープンした友人と山本芳翠がダブって見えた、っていうと美化しすぎか・・・
March 22nd, 2009 at 6:24 am
こんにちは。
めずらしく私的ジャンルのエントリだったので思わずコメント(笑)。
このご時世に画廊オープン、しかも日本近代洋画って……さらっと読んだだけでも苦労がありありと。
よかったら画廊教えてください〜。私の専門ど真ん中なので、なにかお役に立てれば。。。
March 22nd, 2009 at 10:21 am
>彩さん
>このご時世に画廊オープン、しかも日本近代洋画って……さらっと読んだだけでも苦労がありありと。
そうなんですよ。 私、絵のこと全くわからないし、絵を買えるようなリッチな友人もいないので、心の中で応援するしかないんですが・・・
>よかったら画廊教えてください〜。私の専門ど真ん中なので、なにかお役に立てれば。。。
す・すごい専門ですね・・・
銀座松坂屋(松屋ではない)のド真ん前、ド向かい。 上を見上げながら歩くとビルの4Fに至峰堂っていう看板が見えます。 友達の名前は鈴木くん。 アポなしで行っても大丈夫なので、絵だけでも見に行ってあげてください〜 私の名前は新姓でも旧姓でも通じます。