いつも楽しみな渡辺千賀さんの『はたらけシリコンバレー』というコラム。
カリフォルニアのロースクールで弁護士資格を取った方の『行きたいところに行ける人生』コラムの以下の箇所に目が留まりました。
アメリカのロースクールで得られるのは、「弁護士のように考える」思考方法だ。 日本では「正しいことがまずありきで、それを間違った人が『悪い』」 という考えが強いが、アメリカの法学では 「両方正しい。どこで折り合いを付けるか」 という考え方をする。 「正しいこと」が一つしかない国と、沢山ある国の違いだ。
「みんなそれぞれに正しいんだ」 とわかるようになるのが、弁護士のように考えること。 そして、その思考訓練を受けるのがロースクールなのだ。
深いですねー・・・この箇所。 以前書いた『’different’と’wrong’』にも通じるような。
私は法学の素養は全くありませんが(仕事で必要な契約書は書けます)、常々アメリカの政治家になぜこんなに弁護士出身者が多いのか?というのが疑問でした。
現政権はオバマがハーバードロースクール、国務長官ヒラリーがエール、その他弁護士出身者がぞろぞろ。
以前、こちらのエントリーで国のトップのバックグラウンドが国によって大きく違うと書きましたが(右表参照)、アメリカは圧倒的に法曹界出身者が多いのです(単に弁護士の数が多いからだという人がいるが、絶対にそれだけではないと思う)。
言葉も肌の色も違う人たちをまとめるには「言葉の力」が必要で、弁護士は鍛えられているからだと思っていましたが、この「両方正しい。どこで折り合いを付けるか」という思考回路そのものが政治家の資質として必要とされているかな、とちょっと納得。
政治における法律家の存在について、藤田耕三さんという弁護士の方が以下のようにおっしゃってます(こちらより)。
我が国における実務法曹の人数は、たかだか2万人強であるから、100万人前後(企業内法曹等を含めて)のアメリカなどとは比べようもないが、両国の政治社会を見比べて、顕著な相違と思われるのは、リーダーシップを発揮する人材としての法律家の数である。 たとえば、アメリカの大統領や国務長官を筆頭とする政治家には、数え切れないほどの弁護士出身者がいる。 一方、我が国では、弁護士出身の有能な政治家がいないわけではないが、一国の政治社会のリーダーという点からいえば、アメリカと比べるべくもない。
(中略)
アメリカのロースクールを卒業して弁護士業務に従事し、現在は日本で外国法事務弁護士として、また、慶応義塾大学総合政策学部教授として活躍しておられる阿川弘之教授が、面白い意見を述べておられる。 日本での法律とは、お上か何かから与えられたものであって、当然にこれに従わなければならないものと観念されるのに対して、アメリカでは、何が法律かということに対して、各人がそれぞれに意見を持ち、どうだ、こうだと議論したあげくに裁判所によって法律の中身が決められていくのだという。 成文法の我が国と、基本的には判例法のアメリカという違いが背景にあるのではあろうが、法律それ自体についての感覚的な違いがあるのかもしれない。 そうして、このことが、法律家の思考方法にも影響しているのかもしれない。
そして「両方正しい。どこで折り合いを付けるか」といえば思い出すのが、こちらのエントリーで絶賛した(6月に行われた)オバマのカイロ大学でのスピーチ(以下に一部抜粋。拙訳)。
That experience guides my conviction that partnership between America and Islam must be based on what Islam is, not what it isn’t. And I consider it part of my responsibility as president of the United States to fight against negative stereotypes of Islam wherever they appear.
私は自分の経験からアメリカとイスラムのパートナーシップは”イスラムとは何か”によるべきであり、”イスラムは何ではないのか”によるべきではないと確信している。 そしてイスラムに対するネガティブなステレオタイプが起こればそれに対して戦うのが米国大統領としての私の責務のひとつだと考えている。
But that same principle must apply to Muslim perceptions of America. Just as Muslims do not fit a crude stereotype, America is not the crude stereotype of a self-interested empire.
しかし同じことがアメリカに対するムスリムの認識にも当てはまる。 ムスリムが単純なステレオタイプに当てはまらないのと同じように、アメリカも利己主義な帝国という単純なステレオタイプには当てはまらない。
まさに「両方正しい。どこで折り合いを付けるか」を地でいくスピーチ。
ところで、もうひとつアメリカの歴代大統領のスピーチで疑問に思っていたことが。
彼ら”God bless you.”を連発するのですが、これって連発しないとマズいことになるんでしょうか? アメリカより遥かにsecular(政教分離)なヨーロッパでは国の首長がこんなにスピーチの中で”God bless you.”を連発するなんて信じられないと思います(とはいえ、英語以外わからないので想像)。
アメリカ人は非常に信心深く、「聖母マリアの処女懐妊を信じる人が、進化論を信じる人の3倍いる」「80%が神を信じている」など昔の千賀さんのエントリーにもありましたが、それでも国の中に多彩な宗教があることを認めている国としてどうかと思うのですが?(たとえ、この”God”がアラーの神とか含んでいたとしても、神を信じない仏教徒もいるわけだし)
ご存知の方、教えてください。 「国内に信心深い人が多すぎるため言わないとかえって人心の離反を招く」というのが私の仮説です。
August 25th, 2009 at 5:57 pm
学生時代アメリカに住んでいましたが、将来政界を目指す為に弁護士になるという人は少なくなく、プロスポーツ選手で引退後にロースクールに行き、その後政界デビューという人もちらほらいたと思います。立法府でlaw-makerとしての仕事をするのだから法のプロであるべきという考えは真っ当かもしれません。
また今回の記事で紹介されている藤田耕三さんという弁護士の方の話にあるように、自分たちの意思を法に反映させる為のrepresentativeでもあり、市民の代弁者として弁護士としてのトレーニングが非常に適切であるというのも理由の一つだと思います。
こういったことも日本での立法の主役が官僚になってしまっている原因の一つかもしれませんね。
で、God Bless Youの理由。ご存知の通りアメリカというのは人種も多ければ国土も広い。アメリカ人にとってはアメリカだけで世界が完結している傾向が強いです(プロスポーツの国内チャンピオンはワールドチャンピオンだし)。本土を攻撃されたのも9/11が初めてで、差し迫る身近な脅威はなし。島国ではないのですが、島国的な、神に守られ築かれた神聖な国という考えを他文化よりも強く持っているように思います。神に守られ、神が近いだけに、God bless you, God bless America. というフレーズが決まり文句になっているのではないかというのが私の考えです。お札にもコインにも”IN GOD WE TRUST”ときちんと入っていて、神を意識した文化には間違いはないですね。
August 26th, 2009 at 9:36 am
>Kazさん
>自分たちの意思を法に反映させる為のrepresentativeでもあり、市民の代弁者として弁護士としてのトレーニングが非常に適切であるというのも理由の一つだと思います。
たしかにそうですね。 では法治国家ではない発展途上国には弁護士出身者が少ないことはわかるとして、他の先進国も弁護士出身者が多いのか?には興味があります。
>神に守られ、神が近いだけに、God bless you, God bless America. というフレーズが決まり文句になっているのではないかというのが私の考えです。
なるほど。 私の疑問はスピーチの中で「BlackもWhiteもYellowもBrownも・・・」とすべての人種をカバーするほどPolitically Correctなのに、God Bless Youはそのままでいいのか?ってことでした。 慣用句でみんな小さい頃から聞き慣れてるからいいのかしら・・・
August 26th, 2009 at 7:31 pm
はじめまして。Blondyと申します。いつも楽しく拝見させていただいてます。
アメリカの場合、キリスト教徒が76%、その他宗教が9%でトータルすれば何らかの神様を信じている人が85%。無宗教はだいたい15%のようです。
http://www.usfl.com/Daily/News/09/03/0310_036.asp
『宗教に分裂するアメリカ』
―キリスト教国家から多宗教共生国家へ―
http://www.akashi.co.jp/menue/books/2114/atogaki.htm
でアメリカで公の席でGod bless you, God bless Americaというのは、一神教の神(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は同じ神様を崇拝)なのかその他の神様なのかあえて明確にしないことで85%の宗教人口にアピールしているためでしょう。(もちろんスピーチライターはエバンジェリカン等の大口組織票の取り込みをつねに念頭においているわけですが。)
まあ、厳密にいえばセム一神教以外の宗教にとっては、大統領宣誓式で旧約聖書に手を当てる習慣があるので、ほんとは建前と本音が矛盾しているとも言えますが、これは一種のタブーで誰も触れない。一応、歴代大統領は全員キリスト教信者だからその人の信じている宗教の経典で宣誓するという理屈は成り立ってきたが、であればイスラム系の大統領が出ればコーランで宣誓することになる。)
GODと仏様や何とか様は異なるものだなどとクレームして摩擦を起こす度胸のある宗教もいないし、いたところで全ての神格を包括する概念として使っていると言われればおしマイケル。
無宗教の人の多くは、宗教を信じている人を見てもほとんどの場合、勝手にやらせておくので、そういう勢力はサイレントマイノリティとして政治的に問題にはならいので気にしない。
やはり、人類が文明を築いた当初から、人を束ねるのにもっとも効果があるのが、食糧・お金、宗教、恐怖と愛国心等の大義名分の操作でしょうからネ。
Politically Correctが成り立つところはそれで行くが、それ以外の部分は時代にあわせて統治や選挙に都合の良いように適当にやっておくというダブルスタンダードなのであって、実際はアメリカは大いに矛盾に満ちた若い国であるという理解をすればこの問題は解決するのではないかと思いますw
August 26th, 2009 at 11:09 pm
まあ中には、神を公の場に持ち込むなんて無神論者に対する権利侵害だと争う勇敢な人も少数いるようですが、やはり米国の法廷ではまともにとりあってもらえないようですね。
Michael Newdow
http://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Newdow
ちなみにNSUで教鞭を取ったこともある町田宗鳳(まちだそうほう)さんの
『人類は「宗教」に勝てるか』はお勧め本ですヨ
August 27th, 2009 at 9:34 am
>Blondyさん
素晴らしい解説ありがとうございます!
私のもうひとつの仮説に「アメリカは他人の宗教に寛容だと言うことになっているので、キリスト教徒である大統領が”God bless you”を連発するのにも寛容なのである」というのがありました。 その時「じゃあ、ムスリムが大統領になったらどうなんだ?」と思いましたが、黒人大統領はありでもムスリムはないでしょうね、あと50年は。
当然、エバンジェリカルの票取り込みは狙っているとして、たしかに私がアメリカに住むとしたら結構”God bless you”の連発は違和感あるのですが、摩擦を起こす度胸なんて全くありませんし(笑)、無関心を決め込むのが一番いい対処療法ですもんね。
>実際はアメリカは大いに矛盾に満ちた若い国であるという理解をすればこの問題は解決するのではないかと思いますw
すばらしいまとめなんですが、どこの国にも矛盾はあるとして、ほんとアメリカって若い国なんですよね。 なんか自分の発想が「若さをねたむ老人の発想」になってる気がしてきました(笑)。
勇敢な人と本の紹介もありがとうございました。
August 27th, 2009 at 6:00 pm
どちらも正しい。日本の中にいると気づかないことだと思います。
私は今こそアメリカ在住ですが、10年ほど前に北京に2年留学していたとき、その事実を学びました。
当時、留学生はすべて大学構内の留学生寮に住まないといけなかったのですが、共通言語は当然中国語。中国に居る以上、中国のルールがスタンダード、それでも、宗教上やそのほかの条件でそれに従えない場合もある。
違うものは違う。自分の価値観を押し付けるのではなく、相手の価値観も認めないといけない。
そういうことが自然にできれば、人付き合いももっと楽になるのではないかしら、と思います。国家レベルではなかなか難しいでしょうけれど…。
August 27th, 2009 at 9:59 pm
>「両方正しい。どこで折り合いを付けるか」という思考回路そのものが政治家の資質として必要とされている
これは政治の基本中の基本。つまるところRatioの発想ですネ。
こういうことはマレーシアのUMNOでも知っているし、そもそも司法のシンボルは天秤ですw
日本人は長くいろいろ特殊な歴史があるので知らない人が多いだけなのでは?
http://road2malaysia.seesaa.net/article/88776129.html
http://www.supremecourtus.gov/about/symbolsoflaw.pdf
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E8%A8%B4%E8%A8%9F%E4%BB%B6%E6%95%B0+%E6%97%A5%E7%B1%B3%E6%AF%94%E8%BC%83&search_x=1&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&pstart=1&fr=top_ga1_sa&b=11&qrw=0
August 27th, 2009 at 10:37 pm
すいません、最期のはURL添付間違いでした。正しくはこれ、冗長ですが言わんとするところは伝わるはず。。
法を超える暗黙の法
http://homepage3.nifty.com/a-ichik/books/uchisyakai/contents/chap4.pdf#search='訴訟件数 日米比較’
August 28th, 2009 at 10:26 am
>かんさん
>違うものは違う。自分の価値観を押し付けるのではなく、相手の価値観も認めないといけない。
個人レベルは本当にそうですね。 私はよく「趣味の問題」「好き嫌いの問題」というのですが、個人の好き嫌いの問題を「それは違う!」と敵視して、考えを改めさせようとする人が多いことに驚きます。 放っておけばいいのに。
>Blondyさん
リンクありがとうございました。
マレーシアの選挙の写真いいですね。 選挙のある国が懐かしい・・・
September 1st, 2009 at 11:41 pm
la dolce vitaさん、ホームシック掛かってもらい運んだ甲斐がありました(笑)。
確かに弁護士が活躍するのが、「正しい両者にある折り合いを付ける」という部分であるのでしょう。ただ面白いなと思うのは、もしこういう社会が熟成されているとして、彼の国が外交に出ると強硬に自国の論理を推し進めてしまう、というところですね。恐らく「正しい両者」の間にはある暗黙の枠があり、それを超えた時にはそれは「両者」たり得ない、ということがあるんでしょうか?正直アメリカの社会というのを良く知らないのですが、ちょっと興味深いです。
スポーツ選手で弁護士、となると私にはサッカーチェコ代表で日本でもプレー、今はチェコ代表監督のイワンハシェックが思い浮かびます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%AF
この人、来日して一年も経たないうちに問題ない日本語でやり取りやっていました。サッカー選手としても優秀(しかもユーティリティープレーヤー)、頭も優秀、凄い人はいるものですね。
September 2nd, 2009 at 9:14 am
>ドイツ特派員さん
>もしこういう社会が熟成されているとして、彼の国が外交に出ると強硬に自国の論理を推し進めてしまう、というところですね。
私も彼の国の外交姿勢嫌いでしたが、その点についてはこのエントリー(↓)にKicoSさんがコメント書かれてます。
http://www.ladolcevita.jp/blog/global/2009/08/post-242.php
「両方正しい」= 建前
そうは言っても党を支えるロビー団体の存在とかいろいろある = 本音
ってとこじゃないでしょうか。