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「ハレ」と「ケ」の建築 – 3

「ハレ」と「ケ」の建築シリーズ最終回。

前回はオフィシャルな「ハレ」の建築物かプライベートの「ケ」の建築物かに関わらず、ロンドンでは建物が古いということ、建築及び景観を保護する規制についてご紹介しました。
イギリスらしいデザインを形容するキーワードにエクレクティック(eclectic、折衷的な)という言葉があります。 ロンドンの街並みはまさにいろいろな年代の建物がミックスされていて、パリのような統一感がないところが特徴です。 イギリス人の「古い物と新しい物のミックス」、「マスキュリンとフェミニンのミックス」など全体を同じテイストの物でまとめない絶妙なセンスは街並みにもよく現れています。

この真髄を発揮するのがまさにビクトリア王朝時代(1837 – 1901年)、今回はロンドンに数多く残るビクトリア時代の建物から現代までです。

4. ビクトリアン様式(1837 – 1901年)
「ケ」
ジュード・ロウやケイト・モスなどスターやメディア業界の人が多く住む北西ロンドンのプリムローズ・ヒルにあるパステルカラーに彩られた家並みのシャルコット・クレシェント。 
Chalcot Crescent Victorian
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「ハレ」と「ケ」の建築 – 1

前回に続いて建築の話。
ヨーロッパに住んでいて日本に帰国した時にまず初めにショックを受けるのは、街並みの汚さです。 成田から東京都心に向かう途中や関空から大阪市内に向かう途中の車窓から見える住宅街の街並み ー 建物に全く統一感がなく隙間なく電線が張り巡らされ、ケバケバしい巨大看板やネオンで溢れる街並み ー を見ながら「これが本当に世界中のデザイナーが憧れる日本かー」(注1)とギャップに愕然とします。
注1・・・以前、IDEOロンドン事務所のデザイナーと話した時に「デザイナーはみんな日本に行きたがるよね」と言われたことがあります。

京都の伏見稲荷の鳥居や嵯峨野の竹林の道、桂離宮や龍安寺の石庭など日本のイメージを代表する美しいシンプリシティ(注2)と、雑然とした街並みのギャップが、日本はヨーロッパに比べて大きすぎるように思います。 人間の脳は「見たいものしか見ない」ようにできているらしいですが、日本に長年住むと眼孔を開いていても目の前の煩雑さには何も感じずに素通りできる特殊能力(一種の麻痺状態)が身に付くのでしょうか。 日本を離れてしばらくするとこの特殊能力が鈍ってくるところが不思議です。
注2・・・外国人から見るとこういうイメージ→“Our Japan from Marc Ambuehl”“In Japan from Vincent Urban”

日本の景観があまりにも配慮なく醜悪化している件はアレックス・カー氏の『ニッポン景観論』に詳しいです。 本のエッセンスは日経ビジネスオンラインのコラム『これでいいの?日本の景観』でも読めます。
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