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DodgyとNot dodgyの境目

両親が今年の夏はスペイン旅行を計画中だそうで、こんなことを聞いてきました。

スペイン(マドリッドとバルセロナ)は街を歩いても安全か?
パスポートはホテルのセーフティ・ボックスに預けるべきか、それとも自分で持ち歩くべきか?
持ち歩くのであれば、マネーベルトは必要か? カバンでもいいか?

うーーーん、そんなこと聞かれてもねー
It depends… ケース・バイ・ケース。 普通に注意していれば大丈夫だけど、普通の注意は必要・・・
背景説明をすると、母親が英語ができることもあり、毎年夫婦でヨーロッパや息子・娘が住んでいる国に自分たちで出かけ航空券・宿の手配など含め個人旅行をこなすほどの旅能力はあります。 あの年代にすればかなりある方だと思う。
それでも旅先で危険をわざわざ冒す価値はないし、親なので上記のような歯切れの悪い回答に。
で、「普通の注意」の部分をもう少し丁寧に説明すると、
– どこの街にも治安の悪い地域はあるので、事前に調べてそういう地域には行かない
– 歩いているうちに「何か雰囲気悪いなー?」と思う通りに入ってしまったら(昼間から何もしていない目つきの悪い人たちがたまってる、ゴミや落書きなどで通りが荒れている、etc.)、遠回りになってもいいので引き返す
– 人ごみの多い場所では、カバンを前に抱えて持つ
– 夜、遅くなり知らない場所を歩くはめになったら歩くのではなくレストランでタクシーを拾ってもらう
etc. etc. そういうことですが、一番大事なのは五感をフルに働かせて「あっ、ここdodgyだな(*1 )」と思ったら、素早くその状況から去ることでしょう。
*1・・・dodgy 1. 危険な、危なっかしい、2. 巧妙な、ごまかしの、ペテンの(アルクより
非常によく使う口語です。

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Facebook時代の'keep in touch'

昔は一人旅専門だったのですが(→『バックパッカー時代も悪くない』)、今回の中国は実に久しぶりの一人旅でした。 何年ぶりかも覚えてないや・・・
そんな久しぶりの一人旅。 10年前との時代の違いを一番感じたのは、旅先での出会いがもはや一期一会ではなくなったということでしょうか?
昔は旅先で出会った人と一緒に写真を撮ると(←まだフィルムカメラの時代)、住所を聞いて焼き増しした写真を送ったものです。 クリスマス前には郵送でクリスマスカードが届き、でも1年経ち、2年経つと遠い異国に住む友人とは縁が途絶えていきました。
5年くらい前はこれがメールアドレスの交換になり、デジカメで送った写真を送ったりしていました。 でも相手がブロードバンド環境かもわからないので、送っても1通のメールに3枚添付くらい。 何枚も送りたい場合はメールを何通にも分けて送っていました。
そして現在。
「写真見せてよ」
「Facebook(もしくはFlickr)にアップしておくよ。 Facebookで名前何?」(とiPhoneを取り出しそのまま目の前でfriend requestを送る)
あっという間に写真の交換どころかFacebook上でつながったため、今後もお互いに近況がわかることになりました(日本人の場合、mixi)。

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バックパッカー時代も悪くない

若者の海外旅行離れらしいですが、たしかに日本人の若いバックパッカーってあまり見なくなりましたね。 カンボジアでも身なりの小綺麗な日本人学生グループはわりといたけど、汚い格好した1人旅のバックパッカーはほとんど見なかったなー(欧米人はたくさんいたんですが)。
私の学生時代は今までの人生で一番暗かった時期で、大学がつまらなかったので(休講多いし、誰も授業出ないし、教授もやる気ないし)、大学外の通訳者養成校に通い英語を勉強しながら(→詳細コチラ)、効率のいいバイト(家庭教師や塾の試験監督)で旅行費用を貯め、夏休みと春休みに1-2ヵ月ずつ(年間計3-4ヵ月)海外に飛び出す、という生活を4年間続けていました。
「とにかく外に出なきゃ!」と熱にうかされたように飛び出し海外を彷徨っていたあの頃の私や同じような人種(があの頃はたくさんいた)と今の学生を比べると、10年一昔といえど、やはり隔世の感があります。
バックパッカー全員が読んだであろう小林紀晴さんの『ASIAN JAPANESE』や沢木耕太郎さんの『深夜特急』は今の学生にはもう響かないのかな?
私の場合バックパッカーといえど、女1人旅だし親も心配するので、事前にルートを決めていくことも多かったし、辺境の地を旅したり広い世界を見て回ることが目的ではなく、孤独と旅先の交流を繰り返しながら内なる自分と向き合う、それはそれは暗い、内省的な旅でした。
自分に貼られた「京大生女子」というラベルが嫌いだったので(『differentとwrong』というエントリーで書いたように世の中はマイノリティーには冷たかった。 東京だともう少し開放感があって違ったのかもしれない)、そんなラベルが全く意味をなさない海の外で自分を試す、わざわざ自ら好んで痛い思いをしにいく、そんな旅でした。

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