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人との関係性の中で生きる人

昨日の『尾崎豊がわからない。』の続き。
『キュレーションの時代』では他者からの「まなざし」が地獄であるという精神構造が90年代に入って終焉を迎え、逆に他者からの「まなざしの不在」が地獄になる、という精神性を象徴する事件として2つの事件が挙げられています。
1つめは当時、世を震撼させた「酒鬼薔薇」少年連続殺人事件(1997年)。 以下は有名な犯行声明文。

「ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今でも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中だけでも実在の人間として頂きたいのである。」

2つめは、まだ記憶に新しい秋葉原連続殺傷事件(2008年)。 加藤被告の逮捕後の供述内容より。

「掲示板(2ちゃんねる)は他に代わるものがない大切なもの・・・」
「私にとっては家族のような・・・、家族同然の人間関係でした」
「掲示板の自分のスレッドに私になりすます偽物や、荒らし行為を行う者がいたので、対処してほしいと掲示板の管理人に頼みました。 自分が事件を起こしたことを知らせたかった」

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尾崎豊がわからない。

なでしこジャパン、ワールドカップ優勝おめでとう!
佐々木俊尚さんの『キュレーションの時代』はTwitterやFoursquareなどのツールを使ってソーシャルに情報をやりとりする時代の変化を解いた本なのですが、『コカ・コーラCMにみる戦後文化』に書いたように、戦後の日本の社会の空気の分析が非常に面白かったので、今日もそこから。
戦前から続いた農村社会は、戦後に農村が崩壊して都会に膨大な人口移動をもたらす中でも、同じようなムラ社会的構造を生き永らえた。 その中で他者からの「まなざし」(*1)に苦しむ若者の例として2人挙げています。
*1・・・「まなざし」とは人々のアイデンティティーをパッケージ(服装や容姿・持ち物といった見た目の具象的なパッケージと出生や学歴・肩書きなどの属性のパッケージからなる)によってくるみ、そのパッケージで規定することを強要すること。
1人目は『青春の殺人者』という映画の主人公(予告編はこちら)。

『青春の殺人者』のモチーフは、どこにも逃げる場所のない苦しさです。 両親という息苦しい人間関係、成田という閉塞した地方都市、暴走族に溜まり場にされて自由にならない自分の居場所。 安住できる安定した場所だけれども、そこには窒息しそうな空気が充満していて、当時の若者は多かれ少なかれ水谷豊の演じる主人公と同じような閉塞感を抱き、その場所からの脱却を夢想していました。

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プロジェクトPhoenix(仮)始動

こちらでお知らせしたプロジェクトPhoenix(*注)、昨日のキックオフミーティングに休日なのに時間を割いて9名の方に参加していただきました。 ありがとうございます!
注:まだ仮名です。 ネーミング募集しているので最後まで読んでください♪
ミーティングに先立ち、アイデアを募集したので本当にたくさんのアイデアが集まりました、どれも捨てがたいアイデアばかりです。 ブログを読んですぐ「プロジェクトに寄付したい」という匿名希望の寄付者が現れ、相当の活動資金ができました(本当にありがとうございます)。
震災の記憶も生々しい今、多くの人が「何かしたい」という気持ちを持っていると思いますが、ほとんどの人は毎日の仕事や学校・育児など”day job”があるため、モーメンタムが続かないのが現実です。
一時的に寝食の間を惜しんでチャリティー・イベント開催に没頭したとしても、1カ月もすれば息切れしてしまいます。 一般の仕事を持っている人はその1カ月すら続かないのではないかと思います。
一方、この震災からの復興は実に苦しい長期戦になります。
特に被災者が心に受けた傷は一生完全に癒えることがないかもしれませんし、原発の影響が長引くと出ていった外国人が戻ってこないばかりか、将来の観光客・ビジネス客・留学生・住みたい人が激減するかもしれません。
前のブログにも書きましたが、「愛(Love)」の反対は「憎しみ(Hate)」ではなく、「無関心(Indifference)」です。
この相反する事情をどうやって仕組み的に解決しようか考えていました。

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